常識が揺さぶられる

神田村通信

先日神保町に出る用事があったので、例によって東京堂書店に立ち寄り、鹿島茂さんの新刊『神田村通信』*1(清流出版)の署名本を買い求めた。
以前同じように東京堂で『ドーダの近代史』*2朝日新聞社)を購入したときとシチュエーション(時間帯と所用)が同じだったので、そのときのことを思い出す。東京堂を出て所用先に向かおうとしたとき、ちょうど当の鹿島さんを目撃したのだった(→7/25条)。
鹿島さんの勤務先は神保町にある。最近お住まいも神保町に移したことを知ったのは、何かエッセイで読んだのだったか、風の噂で聞いたのだったか。この『神田村通信』のなかでそのいきさつについて詳しく述べられている。
それによれば、横浜の自宅が手狭になり、息子さんたちも独立した。大学で個室研究室をもらえなくなったため、書庫を兼用した仕事場を神保町の貸事務所物件から探し出したのだという。それから3年半の間に二度引っ越すことになった。都合三つの場所を転々としたことになる。
このうち二つ目と三つ目の仕事場は同じビル内で、三つ目の部屋は二つ目の部屋の廊下を挟んで向かい側にあったとのこと。その場所はすずらん通りに面した、これまた築四〇年のビルの三階」で、「「銀座の恋の物語」の石原裕次郎が勢いよく駆け上がっていきそうな雰囲気」「階段部分がなんとも優雅なアール・ヌーヴォー風(?)螺旋の手摺り」なのが気に入ったという。
そういえば『ドーダの近代史』購入直後鹿島さんとすれ違った時、ちょうど鹿島さんに携帯電話がかかってきたらしく、鹿島さんがすぐ目の前にあったビルに入って電話を受けていたことを思い出した。あれはすずらん通りに面したビルで、たしかに外から見える階段の意匠に感心したおぼえがある。ははあ、あそこが鹿島さんの仕事場だったのか。
鹿島さんが大学そばの超高層「億ション」への入居を決めたいきさつも興味深い(「通勤地獄脱却が都心暮らしの決め手」)。抽選で競争率も高かったこともあり、あえて北向きであまり日が差さない部屋を選んだら、見事当選した。神保町では、かえって陽があたる南向きでは夏が耐えられないほど暑くなることを見越しての選択で、これが正解だったという。この経験談は、神保町に限らず、都心に住む場合の重要なポイントとなりうる。日本人の「陽あたり信仰」に揺さぶりをかける指摘だ。
常識に揺さぶりをかけるという点で、爆笑するとともに「言われてみれば」と考えさせられたのは、「思いもよらぬ勘違い」と題する一篇。ここで鹿島さんは、エレベーターに関するこれまでの勘違いについて告白している。
鹿島さんは上の階から下に降りたかった。エレベーターは下にあった。このとき鹿島さんが押すのは↑のボタン。エレベーターを自分の階まで上昇させるのだから、↑という論理である。
でも一般常識的には、自分が下に降りたいのだから、↓を押す。鹿島さんは「エレベーターというものに人生で出合(ママ)ってこのかた、ずっと、下の階に降りたいときには↑のボタンを押すものと思いこんできた」のだという。逆に上の階に行きたいときには↓ボタンを押してエレベータを下の階に下げようとするわけだ。これまでこの鹿島さんの命令をエレベーターが実行してきたから、寸毫も疑わなかったというから面白い。
他の利用者がどの階にもまったくいないと仮定して、たとえば五階にいて一階に降りようとするとき、「間違って」↑のボタンを押してしまっても、とりあえずエレベーターは登ってくるだろう。目の前に開いたドアから中に入り、1のボタンを押すと、上に行こうとしていたエレベーターが一瞬戸惑ったようになり、少しの間があったあと、命令を実行すべく下に動き出すのではないだろうか。この微妙な間も、鹿島さんの「常識」には何の影響も及ぼさなかったとおぼしい。
でもよく考えれば、通用している↑↓のボタンの考え方は利用する人間本位であるのに対し、鹿島さんの考え方は、あくまで物理的なエレベーターの上下運動に即した命令発信であり、合理的と言えなくもない。下に行きたいときには↓を押すという疑いようもない約束事が揺らいだ瞬間だった。
それにしても、そんなことをやっていて、鹿島先生、あの勤務先大学の高層ビルにあるエレベーターの前で女子学生たちに訝られなかったのだろうか。