50年前をまるごと復刻

川本三郎セレクション

このあいだ歌舞伎座に歌舞伎を観に行った帰り、日比谷まで歩いた。いつも入る地下鉄入口の三信ビルが完全に取り壊されてしまったのを目の当たりにして、大きな衝撃を受ける。とうとうやってしまったか。あれだけの風格ある建物が、保存運動むなしくいとも簡単にこの世の中から消え去ってしまうとは。
もっとも、歌舞伎の行き帰りに一階のフロアを通ったり、半円形のエレベーターホールにある階段を上り下りしたり、わたしにはそんな程度の経験しかないし、ましてや保存運動に身を投じたわけでもない。指をくわえて推移を見守り、なくなったことをただ嘆くことしかできない。「忸怩たる思い」と表現するほどの思い入れがあるなどと威張る資格はないのである。
東京に住む地方出身者として、東京という都市が好きで、また過去の都市東京に対する憧れを抱く者としては、三信ビルがなくなったことについて、自分が現実に知っていた歴史的な建物が消えた、消えた歴史的建造物を自分が「体験した」ということをたんに自慢したいだけなのかもしれない。
東京は変わりつづける都市である。いくら風情のある昔の建物とはいえ、時間の流れには逆らえない。同潤会アパートも、看板建築も、あの洋館もこの和館も消えるのだ。一人でこっそり注目していた、まったく有名でない建物であればなおさら、ちょっと見ないあいだになくなってしまう。これが東京。せいぜい建築の記憶、建築の体験を積み重ねることしかできない。
そんなことを考えたのも、岩波写真文庫の復刻版で「川本三郎セレクション」と銘打たれて刊行された5冊を眺めていたからである。ラインナップは以下のとおり。

  • 『川―隅田川―』*1(元版1950年)
  • 『東京―大都会の顔―』*2(元版1952年)
  • 『東京案内』*3(元版1952年)
  • 東京湾―空から見た自然と人―』*4(元版1954年)
  • 『東京都―新風土記―』*5(元版1956年)

各復刻版には、一枚(4頁分)のリーフレットが一緒に綴じ込まれており、冒頭2頁に選者川本さんからの「メッセージ」(選んだ理由)、末尾2頁に専門家の解説文が掲載されている。読者が「川本さんが選ぶのなら」と期待しているような、いかにも川本さんらしいテーマのものが並んでいる。
このなかでは『東京―大都会の顔―』がもっとも興味深い。いきなりゴミの埋立地や汚水処理場から始まり、送電線の鉄塔やガスタンク、水道管や汐留貨物駅、芝浦屠殺所や築地市場へと続く。さらに隅田川や国道、バス、地下鉄、郵便局、そして電話ケーブルなど都民の生殺与奪を握る「ライフライン」の写真が登場する。
さらに商業地帯。中央商業地帯として銀座(坪30万という地価も表示)、中間商業地帯として神保町(坪7万)、外側商業地帯として十条(坪2万)。歓楽・娯楽街、工業地帯の次に住宅地の写真が配される。
「山ノ手住宅地帯」が落合(坪3500円)、「衛星都市」として千葉県市川市、「郊外」として永福町(坪2000円)が出たあと、唖然とするのは「貧民街」「戦後バラック」「裏町」の見開きページである。
貧民街のキャプション、「下級の俸給生活者、日傭労働者などが少額の収入によって生活している」という表現はまだ穏当なほうで、このページに掲載されている東京都の住宅分布図のタイトルに「良い住宅と悪い住宅」とあるのに苦笑する。
さらに解説文が身も蓋もない表現で、現在このような表現は許されないだろうという壮絶なものだ。

都市周辺をめぐる住宅地帯・工業地帯と、繁華な都心地帯との間隙に、貧民窟がカビのように延びている。かつては純粋な住宅地帯だったが、都心の膨張に食われ変貌しつつある過渡地帯。ここは恒久性を持たぬために積極的な顧慮が加えられず一種の放置状態のままにすべてが頽廃にゆだねられる。貧民・浮浪者・犯罪者などがはびこり、暗黒街を含んでもっとも反社会的、非社会的な地域。
復刻版リーフレットに「本著作が書かれた時代性を考慮して原文どおりとした」旨の断り書きがあるけれど、たしかにこうした表現をとることも、またこのように書かれた地域が存在したことも、約50年前の現実の東京なのだろう。「カビのように」とか、「反社会的、非社会的」という表現が直截的だ。
この復刻版は、写真に映された50年前の東京の姿、写した写真家、また解説文を付した編集者、さらにそれを読む読者に至るまで、まるごと50年前の空気を運んできているかのようである。
なお、『東京案内』の15頁にある表参道の写真を見て、以前大映映画「勝利と敗北」で目を疑った表参道の風景(→11/1条)がまさにそこにほかならないことを確認できた。
最後にまた話を三信ビルに戻す。先日読んだ『神田村通信』*6(清流出版)のなかで、鹿島茂さんは、神保町に欲しい専門古書店街のスタイルとして、パサージュ風横長型(アーケード商店街型)の建物をあげている(「神田神保町にあるべき書店形態」)。そしてその理想型は三信ビルだという。あの二階まで吹き抜けで、建物を縦に貫く通りがあり、その両側にテナントが並ぶというスタイル、デザインも申し分ない。
鹿島さん曰く、
もし、奇跡が起こって、私が巨万の富を手にいれることができたなら、断然、三信ビルを買い取って、理想的な書店パサージュを開業するだろう。
鹿島さんが巨万の富を築く前に三信ビルが取り壊されてしまったのは、返す返すも残念だと思わずにはおれない。