歴史の動力としての県人会

探偵大杉栄の正月

川本三郎さんの最新著『ミステリと東京』*1平凡社、→10/31条11/12条)には、もともとの『東京人』連載分に加え、“ボーナストラック”として、むかしの東京を舞台にしたミステリの書評2本が収められている。このうち物集高音『大東京三十五区 冥都七事件』は新刊のとき読んだ(→旧読前読後2001/2/20条)。
いっぽうの典厩五郎『探偵大杉栄の正月』*2早川書房、2003年刊)は、川本さんの書評を読むまで、存在すら知らなかった。こういう読者にとって、『ミステリと東京』には版元情報の記載がないのが不親切で、唯一の不満点だった。でも幸いだったのは、その記憶が薄れないうちに出張のため宿泊したホテルの近くにあったブックオフ(大阪吹田江坂店)で出会えたことだった。
そんな出会いも嬉しく、興に乗ってそのままホテルで読みはじめる。読み終えるまで一週間近くかかってしまったが。
時代は明治44年正月。大逆事件幸徳秋水らが逮捕され、理不尽な判決が下されようとしている直前。別の事件で収監中だったため逮捕をまぬがれた大杉栄を主人公の探偵役に据えた歴史ミステリである。本郷菊坂に大邸宅をかまえる大富豪夫人の捜索を依頼され、その過程で国家機密的な謎に近づいてゆく。
樺太で盗まれた大量のペスト菌が東京に持ち込まれ、それを使用して犯人が孝徳らの釈放を求め東京の各所に菌を撒き、その場所を軍が焼却して回っているというのが国家機密的な謎である(なぜペスト菌が東京に持ち込まれたことを隠さなければならないのかという点に政治的な裏事情があるのだが、ここでは触れない)。火を消すことが職務である消防当局も軍の前に手を出せず、軍の意図は一般には隠されていた。
菌が撒かれたのは、浅草の芝居小屋だったり、上野動物園や、皇居前の楠公像まで、いったい何を根拠に選ばれたのか当局は意図がつかめない。最後にこの謎が明かされるが、各章の扉に引用された文章と深いつながりがあって、あっと驚かされる。川本さんは「犯人の文学趣味的な企み」とする。あの箇所をペスト菌ばら撒きという犯罪と結びつけた著者の着想に恐れ入る。
夫人失踪事件を捜索する大杉栄の足どりの背後に広がる都市東京の細部を愉しみつつ、いっぽうで、川本さんも指摘する山田風太郎の明治物的な登場人物のつながりの妙にワクワクする。関東大震災のとき甘粕正彦に殺害されたアナーキスト大杉栄職業軍人の家に生まれ、新発田中学から陸軍幼年学校に学んで、陸軍大学校教官内定目前までいっていたという、軍と近しい関係にあったとは知らなかった。
新発田中学の後輩には今村均本間雅晴があり、彼らは先輩大杉を慕う若き将校として本作に登場する。また彼らが嫌う同輩として東条英機大島浩も登場する。失踪した夫人の夫である大富豪と東条英機は岩手の同郷で、帝国ホテルで開かれた県人会に集う。その会の幹事として登場するのが石川啄木で、大杉は啄木のつくる甘い詩が苦手なのだった。
新発田という同郷のつながり、また県人会を通しての岩手出身者の横のつながり、それだけでなく本作では、政府内での岡山県人のつながりなど、出身地(県)を同じくする人間関係の網が強調され、印象に残った。作中でこんな解説がなされている。

いまや県人会は流行を通り越し、強力な互助組織としてわが国の社会にすっかり定着している。そのはじまりは、廃藩置県によって東京へ移り住んで華族となった旧大名家が、上京してくる国元の旧藩士子弟をこぞって援助するようになったことだろう。やがて援助された者たちが立身出世を遂げて高級官僚や実業家となるや、出身県の若者を助けたり書生として面倒をみるのが当然のようになった。(46頁)
明治という世の中を動かす社会的関係のひとつとして、このような県人会のつながりを無視することはできないのに違いない。たぶんきちんとした研究があると思われるが、あいにく専門家でないのでわからない。
枢密院議長の日記 (講談社現代新書)上の引用で思い出したのは、佐野眞一さんの『枢密院議長の日記』*3講談社現代新書)だ。「人はなぜ日記を書くのか」という問題の本質に迫った面白い本だったが、読み終えて感想を書くいとまを見つけられずそのままになってしまっていた。
佐野さんが分析したのは、枢密院議長という重職にあった倉富勇三郎がつけた厖大な分量の日記である。一時は宮中序列四番目という高位まで登りつめた反面、風貌は「村夫子」。性格は謹厳実直、悪く言えば朴念仁。結果よりも手続きの正確性にこだわる「法制家」であり、裏腹に噂好きな俗物。そして恐るべき記録魔にして日記中毒者。
日記を書く意味という問題もさることながら、印象に残っていたのは、彼は久留米の出身で、旧藩主であった有馬伯爵家の家政諸事について面倒をみる「有馬家相談会」の重鎮だったという点だった。有馬家相談会とは、旧藩家臣団出身者を中心に構成され、有馬家を企業組織にたとえれば会社の財務や経理を細かくチェックする監査役会のようなものだという。
久留米藩出身と言っても藩校教官の家出身にすぎない倉富が、なぜ有馬家の枢要に関わる立場になれたのか。佐野さんに言わせれば、「ひとえに、倉富が栄誉栄達を成し遂げた政府高官ゆえだったろう」という。先の引用文に通じる社会的関係のありかたが実際に確かめられる。
久留米出身者同士のつながりに限らず、岩手県岡山県といった各県(各旧藩)出身者による横の結びつき。むろんその巨大な集団として、長州閥や薩摩閥がある。これらが歴史の歯車を回すひとつの動力となっていた。『探偵大杉栄の正月』と『枢密院議長の日記』はそのことを教えてくれる。