相撲を観る気分
今年は横綱朝青龍をめぐる一連の騒動や時津風部屋の不祥事により、大相撲が妙なかたちで話題になってしまった。それゆえか、大相撲の本質を問うような著作を書店で見かけるようになった。
たとえば舟橋聖一の『相撲記』*1(講談社文芸文庫)。両国橋近くに生家があり、下町で生まれ育った(もっとも父親は東大工学部教授)舟橋は、幼い頃から相撲に親しみ、力士たちも身近な存在としてあった。
かつて読んだ「私の履歴書」にもその名前が出てきたと記憶する(→2006/11/18条)寒玉子という力士をめぐる回想から、おもむろに『相撲記』は書き起こされる。寒玉子の背中に負ぶさり、本所から浅草界隈をめぐった気分のいい思い出。地方出身者にとって、髷を結って浴衣姿で歩く「お相撲さん」は異人にほかならない。普通に(でもないかな?)町で彼らを見かけることができるのも、東京に住む愉しみかもしれない。
本書は戦時中昭和18年頃に書かれた。横綱双葉山が健在で、さらにかつて双葉山の70連勝を阻んだことで有名な安芸の海が横綱に昇進したという時代である。舟橋さんはこの二人とも贔屓の力士だったようである。
のちに横綱審議委員長を勤めただけあって、相撲をめぐる思い出話にとどまらず、その歴史、技術論や精神論、人気力士個々の評価や大相撲の社会的位置づけまでに亙る幅広い話柄が展開される。
大相撲とはスポーツなのか、芸能、はたまた見世物なのか。力士たちのことを、いまや一般化した言葉である「アスリート」と呼んでいいのか、どうか。近代の合理的精神にもとづいたスポーツと言うには、違和感がある。そのはざまで日本相撲協会も、力士たちも苦しみ抜いているのだろう。
相撲独特のルールに「物言い」がある。行事の軍配に審判員や控え力士が異議を申し入れる。行事を囲みながら審判員の親方たちが土俵上で議論を行ない、「軍配どおり」「行事差し違え」「取り直し」が決まる。現在ではビデオ判定の結果がイヤホンを通して審判員に伝えられ、「正確な」判定がなされるようになった。
それはそれで結構なのだが、やはり相撲の面白さは物言いや水入りといった、他のスポーツに見られない勝負の綾にあるのではなかろうか。舟橋さんは物言いについて、合理的にいかずメカニズムで割り切れない、多分に直観の世界が残されている点が面白いと主張する。「物言いの形式も、曖昧でとぼけたところのある」点が相撲らしいし、物言いの気分も嫌いでない。
物言いをつけている間は、観客はしばらく待っていなければならぬ。それを退屈だというのは、やはり、相撲を味わぬ人である。観客は、これを待ちながら、いろいろと、今見た勝負について、感想を持合うことが出来る。物言いが長びけば、長びく程、その一番の取口は、複雑だったに違いないからだ。(65頁)ただ強いだけが力士ではない。上位力士ほど人間性、品格が求められる。たんなる強さで序列が決まらないところが面白い。そして強い力士がかならずしも人気があるとは限らないことも。現北の湖理事長の現役時代を見よ。子供心にも憎たらしかったあの強さ。負けると、テレビの前にいても座布団を投げたくなった嬉しさ。
まったく太刀山の土俵にはいろけというものがなかった。わけしりというところもなかった。ただ、すべてが勝つためであり、そのためには、土俵の風情を絶する処があった。この点、双葉山は、強いだけでなく、六十九連勝の未曾有の記録だけによらず、彼の土俵には、人間性が躍如としてたゆとうている。味があり、いろけがあり、もののあわれもある。(238頁、太字箇所原文傍点)勝ち負けとは別次元で、風格だけでなく、色気やもののあわれが求められるようなものであるからこそ、相撲は面白い*2。舟橋さんは、団菊左は見ることが叶わなかったけれど、常陸山も梅ヶ谷も国見山も子供ながらに見ることができたと自慢する。こんなふうに、相撲には歌舞伎と対比されるべき面も残していなければ面白くないと思うのである。
33代木村庄之助さんの『
『相撲記』にせよ、『力士の世界』にせよ、そこで説かれているのは相撲の本質ではあるが、すでに現代においては現実とかけ離れている考え方も少なくない。でも最低限守るべきものを守らなければ、相撲だって、歌舞伎だって廃れるに違いないのだ。これはそ観る立場の人間にとっても、それに何を求めるべきなのか、真摯な問いかけがなされている本であると言えよう。