年の瀬や水の流れと人の身は

清水一角

松浦の太鼓

忠臣蔵外伝とも言うべき三本(上記二本に加え、宇野信夫作「堀部彌兵衛」)を組むというユニークな企画。そのうえ吉右衛門が座頭で大好きな「松浦の太鼓」もあるとなれば、この公演情報を知ったときかならず観に行こうと心に決めていたにもかかわらず、すっかり忘れてしまい、新聞広告や劇評などで思い出したときにはすでに下旬。
先の連休、思い立って国立劇場まで足を運んだものの、わたしの財布でも観られる三等席(百歩譲っても二等席まで)はすでに満席。席があるのはウィークデイの25・26日両日のみということでその日は諦めてすごすご帰宅した。
しかしながら播磨屋の「松浦の太鼓」への思い断ちがたく、まあ年に一度はこんなことをしても許してもらおうと、昼過ぎに職場を抜け出して隼町へ向かう。千秋楽の国立劇場。すでに「堀部彌兵衛」は終わり、二幕ある「清水一角」の一幕はしまいにさしかかっていたけれど、幸い三等席が残っていた。
「清水一角」は、忠臣蔵では吉良家の側の侍としてよく名前が出てくる「清水一学」を主人公にした黙阿弥作のもの。昭和36年に二代目松緑が演じて以来47年ぶりという珍しい演目。清水一角は染五郎。千秋楽のためか声がつぶれかかっていたものの、なかなか貫禄ある風情で、最近観た染五郎の役柄では上位に来る。
酔いつぶれた一角の酔態を観ていると、「魚屋宗五郎」を思い出す。また酔った芝居の口跡は父幸四郎のそれととても似ている。最後に、一角を討とうと槍を持って家に入ってきた牧山丈左衛門(歌六)の槍を交わしながら胴着と袴に着替える立ち回りが面白い。
さてお目当ての「松浦の太鼓」。たぶん吉右衛門では二度目か(その他勘三郎で一度)。気分屋で癇癪持ちで、気の良い愛敬たっぷりの殿様松浦鎮信侯。吉良屋敷の隣に住む松浦侯が、赤穂浪士がなかなか討ち入りしないことに憤慨するときの苛立ちや、山鹿流の太鼓が聞こえてきてその調子を指を折って数え、大石のものに違いないことを確信したときの喜びよう、そんな一喜一憂が楽しく、台詞まわしも時代がかったり世話にくだけたりと緩急自在、今年一年を締めくくる見納めの芝居として、これほど気持ちのいい芝居はない。観に行ってよかった。
其角(歌六)や大高源吾の句で謎解きをしたり、連句をしたりする場面、いかにも俳句好きな初代吉右衛門にぴったりの演目ではある。