「武蔵野」という文化

武蔵野を歩く

ひねくれて天の邪鬼な自分の性格をときどき恨むことがある。
東京で働くことが決まったとき、最初に悩んだのが住む場所だった。決まってから赴任するまで一ヶ月もなく、即断を迫られていたため、色々な町を回ってあれこれ悩む余裕がまったくなかった。
ひとつだけ決めていたのは、ふつう職場に通勤するときもっとも便がいい地下鉄(丸ノ内線)を使うことだけはよそうということ。これが天の邪鬼ゆえの決断だった。丸ノ内線を使わず通勤できて、電車の乗車時間はできるだけ短く(当時は密閉された空間に長い間いることができなかった)、家賃も手頃。そんな条件を備えている町となれば、必然的に限られてくる。かくていま現在も住んでいる町に居を定めた。
この判断に悔いはないのだけれど、東京に住んであちこち出歩いているうち、「ああ、こんなところに住んでみたかったなあ」と思わされる町と出会うようになる。いまさら引っ越すことは難しいから、あくまで夢に過ぎないのだが。
ここ、とピンポイントに限定するのではなく、あくまで広い範囲で言えば、中央線沿線、武蔵野の町々などが第一にあげられる。ラピュタ阿佐ヶ谷に映画を観に行くときなど、とくにそう感じる。古本屋文化を抜きにしても、住んでみたい雰囲気なのである。
去年出た海野弘さんの著書『武蔵野を歩く』*1(アーツアンドクラフツ)は、そんな武蔵野のあちこちを海野さんが歩きまわった散策紀行文集である。
海野さんには、『足が未来をつくる』(洋泉社新書y、→2004/2/27条)という散歩礼賛の本がある。本書『武蔵野を歩く』のあとがきによれば、この本も武蔵野歩きの副産物だという。『足が未来をつくる』を理論編だとすれば、本書はさしずめ武蔵野歩きの実践編、報告集だと言えよう。
本書において海野さんは、東京東部の武蔵野地域、主として荻窪以東、山梨県境に近い八王子や高尾まで、電車の駅を起点に様々な場所を訪ね歩いている。文章では「散歩」と称しているが、場所によっては「踏破」「踏査」と言い換えてもいいほどの健脚ぶりは、優雅な散歩の域をはるかに超えており驚かされる。
海野さんが足を向けるのは武蔵野の自然をそのまま残している森林だったり、町中で武蔵野の自然をしのばせる神社や寺院だったり、山城の跡だったりする。文学散歩ではなく、歴史散歩だ。
散歩の前か後には、かならずと言っていいほどその場所にある図書館や郷土博物館に立ち寄る。図書館の郷土資料室で、これから歩き回る地域の歴史を予習したり、歩いてきたルートを復習したり。またそこでしか手に入らない小冊子や図録などを買い込んで、足だけでなく頭でも武蔵野を満喫しようとする。
寒いときにはラーメンや熱いコーヒーで体を温め、空腹の時は大好きなパンをかじりながら歩き回る。こうした臨場感の伝わってくる文章を読んでいると、気持ちがいつのまにか武蔵野の森林に向かっていることに気づく。少しずつ宅地開発の波にさらされている様子は文章の端々からうかがうことができるのだけれど、区部以東の地域はまるで武蔵野の原野が一面にひろがっているかのような錯覚をおぼえてしまう。
先にわたしは本書を文学散歩でなく歴史散歩の書だと書いた。もとより海野さんは、本書から文学散歩的な色合いを排除しているわけではない。国木田独歩はもちろんのこと、徳冨蘆花大岡昇平ら、武蔵野の自然を描いた文学作品がなければ、人々の頭に武蔵野という概念は生じえなかったのかもしれない。
自然としての武蔵野はあれど、文化概念としての「武蔵野」は文学作品なしには考えられない。武蔵野を歩くことは自然を歩くと同時に、文学者が作り上げてきた「武蔵野」という文化を感じることでもある。
その意味で次の文章はとても印象深い。

散歩というのも、独歩や大岡昇平や、そして無数の人々が通っていった道をたどり、そこに流れている時のざわめきを甦らせることであるかもしれない。(189頁)
空間を移動することにより時間の堆積、すなわち歴史を知る。『モダン都市東京』以来一貫して、足を使って時間の深みに分け入ろうと試みている海野さんらしい言葉だ。
住むことはかなわないかもしれないが、いつの日か本書を携えながら武蔵野を歩きたいという意を強くしたのだった。