点か線か面か

TOKYO 老舗・古町・お忍び散歩

坂崎重盛さんの新著『TOKYO 老舗・古町・お忍び散歩』*1朝日新聞社)を読み終えた。
朝日新聞夕刊連載中から愛読してはいたけれど、毎回これを目当てに夕刊を広げるというほど熱心に追いかけていたわけではない。まさかこの連載が単行本になるとは思ってもみなかったから、一書にまとめられ、通して読むことができるのが嬉しい。それに一回読めば終わりというわけではなく、取り上げられた地域・お店のデータベース的使い方もできるから便利だ。
取り上げられている地域は、上野・湯島天神下からはじまり、神楽坂まで22ヶ所。このうちもっとも西に位置するのが最後の神楽坂であることが、著者坂崎さんの嗜好をあらわしていよう。「私にとってどこも大切な、大好きな町」(「あとがき」)ばかりが選ばれている。東京の東の端に住み、本書で坂崎さんが歩いている町々には多少なりとも親しんでいるつもりだから、この地域選択は大歓迎なのである。
とはいえ読みながら、私はこれらの地域が好きで親しんでいたつもりではあっても、実は半分も知らないでいることを痛感した。その町の「夜の顔」、つまり飲み屋を中心にした町の雰囲気はほとんど知らないから。
明るいうちから界隈を歩き、日が沈んだ頃合いを見はからって路地裏にある居酒屋に飛び込む。そういうところは常連客ばかりの店の場合が多いけれど、常連さんたちがかもし出している空気を壊さず、かといって懐深く入って溶け込もうという無理をおかさない。そんな距離の取り方が町歩きの秘訣なのだ。
読んでいて坂崎さんの町歩き(もしくは町歩きルポ)の特色だと思ったのは、対象の町を全体として把握するのではなく、かといって個々のお店をクローズアップするのでもない。面でも点でもない。線、つまり「通り」(道・横丁・路地)で捉えること。
本書の中で坂崎さんは、繰り返し自らが「路地・横丁好き」であることを述べている。もちろん本書では個々のお店の紹介も意を尽くし、決してなおざりにしているわけではないが、そうしたお店を結ぶ線としての道をたどる(歩く)ことに重きを置いている。気に入った道を歩いて、そこに面したお店に入る、あるいはその道からさらに脇に入る路地に潜入してみる、そんな散歩の楽しみが横溢している。
坂崎さんがいかに「路地・横丁好き」であるかは、たとえば「根津・千駄木」の一章を見るとはっきりとわかる。

これは私のまったく個人的な遊びで、神保町のところでも披露したが、名のついていない路地・横丁に散歩がてら、勝手に自分なりの名をつけてしまう。余計なお世話というか、悪癖なのだが、たとえばこんな具合。(108頁)
ということで紹介されるのが、名づけて「ことはん通り」。根津駅を出てすぐの不忍通りの一本裏通り、不忍通りと直交する言問通りから串揚げの「はん亭」へ折れる通りは、言問通りからはん亭へ至る道だから「言はん」。自ら「安易」と謙遜するものの、安易だからこそ親しみがわき憶えやすい。
行政が名づけた大きな通りとも、江戸以来の由緒ある坂道の名前とも違う。ましてや○○銀座という地元の人びとが名づけた名称でもない。名もない(名づけようのない)通りに沿った事物を観察してそこに自分なりの名前をつける。名付けは認識の第一歩。坂崎さんの町歩きは通りの顔を記憶することからはじまる。
だから路地・横丁が張りめぐらされている町の散歩はとくに生き生きとしている。その代表が神楽坂だろう。個人的にはもっとも身近な北千住歩きの誘惑に駆られた。とりわけこれまで歩いたことがない日光街道国道4号線)の西側、隅田川と挟まれた地域へ深く深くもぐってみたい。
光線の具合で玉虫色(?)に変わるカバーに淡く印刷された昔の東京地図がいい。まだ不忍通り本郷通りもないから、明治初年の頃ではあるまいか。表表紙のちょうど真ん中あたりに、先日触れた鴎外「雁」の無縁坂が位置しているのも嬉しい。