ナンセンス横溝万歳

山名耕作の不思議な生活

年をとってくると、食の好みが脂っこいものからあっさりしたものに変化する。もっともこの変化は食べ物だけに限らないようだ。読書の好みも似たような経過をたどっている。
たとえば横溝正史作品で言えば、現代に起きた殺人事件が実は20年前の殺人事件とつながっていたといったような因習がからむおどろおどろしい雰囲気のものよりも、昭和初期のモダン雑誌『新青年』で活躍していた頃のモダニズムにあふれた都会的でナンセンスな作品に関心が向いている。これはすでに何度か書いてきたことである(→2006/12/30条)。
徳間文庫から、そうした時代の短篇を集めた『山名耕作の不思議な生活』*1が出たのでさっそく購い、一読した。
本書の元版は1977年3月に角川書店から刊行されたというから、おそらく同文庫版を指すのだろう。そっくりそのまま徳間文庫化されたのだろうか。いわゆる“横溝ブーム”のときに小学校高学年〜中学生だったわたしはその直撃を受け、「脂っこい」金田一物を読み漁った。金田一耕助という探偵の連想から、本書の角川文庫版も手に取ったはずである。記憶はまったくないけれど、ひょっとしたら読んでいるかもしれない。
しかしながら共通するのはただ「耕」という文字のみ。おどろおどろしさも猟奇性も感じられないナンセンスなコントが、田舎の中学生の感性に響きようがなかった。
それから約30年、いまのわたしはむしろこの短篇集のような、きわめて軽いモダニスト横溝作品に心動く。食べ物の嗜好の変化とまったく同じである。
本書には14の短篇が収められている。1927年から31年までに発表された作品ばかりで、その27年に横溝は『新青年』の編集長に就任し、同誌をモダニズムの最先端をいく雑誌に仕立てあげた(徳間文庫版巻末細谷正充氏の解説参照)。
14の短篇は、乱歩の系譜を引いた猟奇性がうかがえる作品と、ナンセンスな都会風コントの二系統に分かれる。前者には「あ・てる・てえる・ふいるむ」「双生児」「片腕」「丹夫人の化粧台」などがある。
「あ・てる・てえる・ふいるむ」と言えば、細谷氏の解説でも触れられているように、新青年横溝編集長が乱歩名義で代作した作品として有名だ。映画に偶然映っていた場面がある犯罪を暴く。渋谷道玄坂にあった映画館の雰囲気と相まって、見事な短篇だ。
もう一作、乱歩名義で発表されたのが本書収録「角男」である。こちらは乱歩の初期作品に通じるある種のペーソスが感じられ、浅草六区の見世物にまつわるセピア色の哀しい物語だ。たしかにいずれも乱歩の名前であってもおかしくない色合いをしている。そうした来歴を閑却しても、横溝作品として上質のものであることに変わらない。
いっぽうナンセンス物としては、表題作「山名耕作の不思議な生活」「ネクタイ綺譚」「夫婦書簡文」「川越雄作の不思議な旅館」「ある女装冒険者の話」「秋の挿話」がある。
新聞記者として相応の月収をもらっているはずの山名耕作が、なぜ「千住みたいなへんぴな所」に逼塞し、切りつめた生活をしているのか。突飛な理由と、彼に待っていた皮肉な結末。山名耕作が切りつめた生活をしている理由というのが、「角男」にも共通する。階級社会特有の願望なのか。
そのタイトルからして「山名耕作の不思議な生活」の姉妹編のように見える「川越雄作の不思議な旅館」もそう。ある意味これは乱歩の『パノラマ島奇譚』にも通じている。それにしても、主人公川越雄作が鎌倉稲村ヶ崎に実現させた夢の突飛さ! 開いた口がふさがらないとはこのことだ。これぞナンセンス。
ナンセンスと言えば、読後軽やかな余韻を残すのが「秋の挿話」だ。取り立てて目立つ作品ではないが、駕籠町とか、巣鴨宮仲、山吹町、神楽坂といった地名が地理的興味をかき立て、軽くひねりがきいたオチで幕切れとなる。同じようにひとひねりされた皮肉たっぷりの「ある女装冒険者の話」とともに、『文学時代』という雑誌に発表された短篇だが、こんな軽妙な作品を載せた『文学時代』とは、どんな性格の雑誌だったのだろう。ちょっと気になっている。