都会的な喜劇の傑作

逝ける映画人を偲んで2004-2006

「街燈」(1957年、日活)
監督中平康/原作永井龍男/脚本八木保太郎月丘夢路岡田真澄南田洋子/葉山良二/中原早苗渡辺美佐子/草薙幸二郎/細川ちか子/山岡久乃北林谷栄芦田伸介小沢昭一

ブッキッシュな人間ゆえか、先日観た「忍びの者」もそうだが、映画に関係する本を読み、そこに触れられていた作品を観たくなるという筋道のものが多い。今回観た「街燈」もそう。中平まみさんの『ブラックシープ 映画監督「中平康」伝』*1ワイズ出版、→2006/5/30条)によって観たいと思った作品だった。夏休み日曜の午後、さすがに人が多い。むろんこの作品が面白いゆえということもあるだろう。
『ブラックシープ 映画監督「中平康」伝』の感想を書いたとき、「街燈」に関係した文章を引用した。シナリオでの句読点の打ち方が原作と違うところに、原作者永井龍男からクレームが付けられたという挿話だった。これにかぎらず、本作品には紹介せずにはいられなくなるような挿話がたくさん書かれてあり、困ってしまう。
タイトルの「街燈」は冒頭と幕切れの場面に登場する。夜の並木道に点々とともる街燈のシーン。冒頭、コートを着た葉山良二が渋谷にある南田洋子のブティックを訪れる。葉山の弟が落とした定期券を拾ったのが南田で、葉山はそのお礼とお詫びに来訪したのである。
お詫びというのは、弟たちはわざと定期券を落とし、拾った人が運良く若い女性であればその女性と仲良くなって…という遊びをしていたからなのだった。葉山と南田の会話から、弟の友人たちがそれを試みたときの回想シーンが「○○君の場合」「××君の場合」という字幕入りで出てくるのが何とも人を喰っていて、場内爆笑だった。
最初の「場合」の主人公が小沢昭一であるのも笑えた。最初おばあちゃんに拾われ、次に拾ったのが若い女性だと思ったら彼氏と待ち合わせしていて、とうとう投げ捨てられて線路に落ち、電車(丸の内線?)に轢かれてしまうというオチ。
小沢さんの場合は失敗例。成功例というのもあって、それが岡田真澄。彼の定期を拾ったのが銀座でブティックを経営している月丘夢路で、定期を受け取りに店を訪れたときに起きた出来事が縁で、岡田が月丘のヒモのような存在になり、店で働くようになる。岡田目当てで月丘の店に通ってくるマダムたち(細川ちか子・山岡久乃)や令嬢(中原早苗)がいる。
ストーリーは、月丘と岡田の関係、葉山と南田の関係という二つの男女を軸に展開する。岡田真澄さんはいかにも軟派で気の弱い美少年という役回り。日本人離れした顔立ち(当たり前か)と、すらりとした長身は異彩を放つ。
中平監督はすでにこの前年の「狂った果実」でも岡田さんを印象深い役で登場させている。本作品の翌年に作られた傑作「紅の翼」でも、クレジットに名前が出ないちょい役で出演していたはずだ。岡田真澄というユニークな俳優の使い方をよく心得ているという感じ。
俳優の使い方ということで言えば、数ある日活作品のなかでも、とりわけ中平作品で印象的だと思わされるのが、岡田さんのほかに、中原早苗・草薙幸二郎の二人がいる。中原さんについては、前掲書のなかで、「父は中原早苗の〝さえずるがごとく早口でしゃべるセリフまわし〟が大変気にいっていた」(83頁)と書いている。中平監督お気に入りの女優さんだったらしい。「紅の翼」はもちろん、先日再見した「あした晴れるか」も強烈な印象を残す。
いま一人、この時期の日活作品では脇に回っている草薙さんについては、「あした晴れるか」では安部徹の部下の一人として、拳銃早撃ちの真似事ばかりしている変な男を演じていたし、今回の「街燈」では、岡田真澄をゆすって葉山良二と対決する敵役として、鎖を回して指に巻き付ける仕草が癖になっている奇妙なチンピラを演じている。
正直に言って記憶が定かではないが、前掲書所載のスチール写真を見るかぎり、「危いことなら銭になる」でも草薙さんは強い個性を発揮しているかもしれない。要再見。
日本の街という感じがしない、石造の建物が連なる銀座の町並みを闊歩する登場人物たち、俯瞰ショットや少しずつアップになっていくカメラワークなど、都会的センスに満ちた快作で、終わり方もシャレている。エンドマークが出て、スクリーンがグレー一色で動かなくなってもなおしばらく主題歌(唄旗照夫、作詞中平康・作曲佐藤勝)が流れ、心地よい余韻を残す。
以下余談。わたしが座った同じ列に、小学校低学年ほどの女の子二人を連れた女性が座った。女の子のうち一人は浴衣で、容貌が外国人のようだった。大人の女性はこの女の子の母親らしく、もう一人の女の子は友達なのだろうか。こんな映画に小学生が観に来ること自体珍しいから、直感的に彼女は岡田さんのお嬢さんなのではないかと思った。
「逝ける映画人を偲んで2004-2006」として上映された「街燈」、当然2006年5月に亡くなった岡田さん追悼の一本となっている(ほか青木富夫さんの追悼も兼ねている)。たしか亡くなる直前、愛娘のピアノ演奏を聴き、「今度は神様と一緒に聴いているからね」と話したという話にジーンとなったおぼえがある。
いま調べてみるとそのとき(去年)娘さんは7歳だったというから、ちょうど同じくらいの年ごろだし、さらに葬儀のときに岡田さんのご遺骨を抱えた奥様の写真は、女の子二人を連れた女性に似ているような気がした。
岡田さん登場シーンになると、ひそひそと会話を交わしていた(映画を観つつ、ついそちらも気になってしまった)から、きっと彼女たちは岡田さんの奥様とお嬢さん(そしてその友達)なのに違いない。デビューまもない若くてスマートでハンサムな亡父とスクリーンで再会したお嬢さんは、どんな気持ちで映画を観ていたのだろう。
確証はまったくないのだが、勝手にそのように想像して、「ああ、いいなあ」としみじみ幸せな気分に包まれたことは確かだ。天国にいる岡田さんも喜んでいるのだろうなあ。そんな出会いがあったことで、「街燈」を観た記憶は消えることはないだろう。