風俗描写をおさえた風俗小説

気まぐれ指数

読んだときの感想にも書いたが、最相葉月さんの『星新一―一〇〇一話をつくった人』*1(新潮社、→5/4条)を読んで一番惹かれた星新一作品が、初めての新聞連載小説『気まぐれ指数』だった。
本作品は東京新聞に連載された。最相さんの本によれば、星新一獅子文六のある種の作品への挑戦」という意図で筆を執ったという。は流行語や書かれた時期の世相風俗をふんだんに取り入れた時代性が獅子文六作品の特徴だから、挑戦という意味は、「流行に左右されない古びない作品を目指」したことを指すのではないかと最相さんは推測している。
星さんは、この作品に限らず、固有名詞を極力使わず、改版などにあたってもこまめに文章に手を加えて時代性を排除してきたというから、星作品から時代性を読み取りたいときには、可能なかぎり初版に近い版が望ましいことになる。でも星作品は何度も版を重ね、おびただしく刊行されているから、単行本初版は別にして、文庫など古い版を古本屋で見つけることは至難の業となるのだろう。
最相さんの本を読んで以来、ブックオフなどに立ち寄るたび星新一の棚を探して、ようやく先日『気まぐれ指数』の新潮文庫*2を見つけたので購入した。新聞連載が昭和37年、単行本刊行が翌38年、新潮文庫に入ったのが昭和48年で、平成元年の31刷で改版され、わたしが購ったのは平成17年5月20日の40刷である。おそらく連載当時の「時代性」は稀薄になっているものと思われる。
それでもなお星さんは、文庫版巻末の「文庫改版でのあとがき」のなかで、「この小説は私の唯一の新聞連載小説であり、また珍しく風俗小説なのである」と書いている。とはいえ「風俗描写は押さえ、ストーリーと会話に重点をおいたつもり」と、アンチ獅子文六の意図をにじませている。
さっそく読んでみると、東京タワーのふもと、麻布あたりにある町に住む風変わりな男女二組の恋模様が、仏像盗難騒動を中心にして、おしゃれな会話を駆使して描かれている。調べてみると、本作品が連載され単行本として刊行された時点で、物語の舞台の点景となる東京タワーはまだ竣工していない。工事中だったのである。
でもこの物語のラストでは、登場人物らが東京タワーの「一二五メートルの展望台」に登っている。すでに途中の展望台までは行くことができたのか、近未来小説として書かれたのか、改版による改変なのか、よくわからない。
個人的には、本書からわずかでも「時代性」を読み取ってみたいと思っていたのだけれど、読んでいるうちにそれはどうでもよくなってきた。登場人物の間に交わされる文明批評的警句に満ちたおしゃれな会話を楽しんだ。
由緒ありげな仏像を盗んでみれば贋作らしく、鑑定書も信用できない。その仏像を元の持ち主に返すときに一もうけしようと、贋作の贋作をつくらせたところ、贋作の贋作のほうが現代的感覚にマッチして、逆に高い評価を受けてしまう。
株取引で騙され、紙くず同然の株券をつかまされたと思いきや、その会社の土地が高速道路建設のため値上がりが予想されたため、重役たちの間で争奪戦になっている。虚が実になり、実が虚となる。そんな人を喰ったような展開が面白い。
あえて風俗描写を拾うとすれば、こんな文章を見つけることができた。地下鉄銀座駅を描いた一こま。

まわりには、地下鉄特有の、湿気を含んだ空気がこもっている。それは都会の分泌している汗のようだった。また、一種のにおいがただよっている。浅草のにおい、日本橋、新橋、赤坂、渋谷などのにおい。これらをまぜあわせた東京の体臭というものがあるとすれば、それはこの地下鉄のにおいにちがいない。(153頁)
最後に絶妙な文明批評をひとつ。
なにかやつ当りする対象が欲しかったが、思い当らなかった。ベンチのそばには、水飲み場があるくらい。水飲み場は各ホームにあるくせに、便所はそれほどない。世の中には、やつ当りの気分をひきおこす種がむやみとあるくせに、その解消法はほとんどない。どうも、流通のバランスが、よくとれていないようだ。(259頁)