忍びの歩き方

「忍びの者」(1962年、大映京都)
監督山本薩夫/原作村山知義/脚本高岩肇市川雷蔵藤村志保伊藤雄之助岸田今日子/城健三朗/西村晃加藤嘉/浦路洋子/藤原礼子/真城千都世

名匠山本薩夫監督による「忍びの者」も、例によって文藝春秋編『大アンケートによる日本映画ベスト150』*1(文春ビジュアル文庫、→4/25条)に収められた井上ひさしさんの「たったひとりで、ベスト100選出に挑戦する!」でのコメントに惹かれ、観たいと思っていた映画だった。
井上さんは「忍者の歩き方を初めて視覚化してみせてくれた。それにしても伊藤雄之助にはもっと長生きしてほしかった」と書いている。「忍者の歩き方を初めて視覚化」というところが気になったのだ。
忍びの者 [DVD]市川雷蔵扮する石川五右衛門伊賀忍者の出身で、師匠が百地三太夫だったという話はその世界では有名らしい。知らなんだ。五右衛門が百地のもとを離れ、盗賊に身をやつすに至る筋書き(奥方の岸田今日子との密通)がどうも陳腐で、後半ウトウトしながら観ていたこともあってか、密通が発覚するまでの前半がとても面白く感じられた。
その面白かった前半の立役者が伊藤雄之助伊賀忍者百地三太夫と藤林長門守の一人二役を演じている。百地がよれよれで背中を丸くした老人、藤林はバイタリティに満ちた人物という対照的な二人が実は同じ人間だった、しかもそれを演じるのが伊藤雄之助だという面白さ。
芝居が大げさなのだけれど、伊藤雄之助だから許してしまう。たぶん井上さんのコメント後半部は、このような場面を念頭においてのものではあるまいか。
そしてわたしの気になった「忍者の歩き方」というのは、足音を忍ばせて上半身を動かさずに走るようなものがそれなのだろう。伊藤雄之助の百地が一人になったのを見はからってこっそり屋敷を出て、藤林の屋敷に入るまでの走り方を指しているのだと思う。
でもある程度忍者とはこういうものだと思っていたわたしにとって、期待外れのものだった。よくよく考えれば、この映画で確立された「忍者の歩き方」というものが一般化し、あとで生まれたわたしたちがそれを当たり前に受け入れているということなのだろう。初めてこの映画で目の当たりにした井上さんのような人にとっては、ショッキングだったに違いない。
同じ山本監督の「続・忍びの者」も録画してあるが、どうもパッとしなかったので、観ようかどうか迷ってしまう。