驚異の編集力

万太郎 松太郎 正太郎

大村彦次郎さんの新著『万太郎 松太郎 正太郎―東京生まれの文人たち』*1筑摩書房)を読み終えた。
書名の三人は、言うまでもないが、久保田万太郎川口松太郎池波正太郎の三人。浅草生まれということで共通している。浅草の「三太郎」というわけか。本書ではこの三人がそれぞれ一章分を割り当てられ論じられているが、このほか水上瀧太郎広津和郎も一章分が当てられている。
どうせ三太郎できたのならば、瀧太郎も加えればいいように思えるが、水上瀧太郎は麻布飯倉という山の手の生まれだから三太郎とは出身が異なり、また万太郎・松太郎・正太郎・瀧太郎では若干くどくなるかもしれない。さらにそうなれば、取り残された広津和郎の立場もなくなってしまう。三太郎で良かったかと考え直した。
上記5人のあと、それぞれ一章分を当て、「東京下町生まれの文人たち」「東京山の手生まれの文人たち」が取り上げられている。
「自分の一生は挿話の連続」とは久保田万太郎の言だが、そうした挿話は戸板康二さんの決定的評伝『久保田万太郎*2(文春文庫)で語り尽くされているせいか、さすがに万太郎の章は新味を感じない。
また川口松太郎についても、高峰秀子『人情話 松太郎』*3(文春文庫、→2004/1/27条)がある。むろんわたしのことだから、これら既読の本の隅から隅まで憶えているというわけではないけれど、これまでの文壇三部作やそれに続く著作にくらべ、読者を次のページへと引っぱってゆく強力な牽引力に欠けたという印象だった。
さらに第6章「東京下町生まれの文人たち」・第7章「東京山の手生まれの文人たち」となると、下町生まれ・山の手生まれの文人たちについて、それぞれ一、二頁、あるいは一頁にも満たない一筆書きのポルトレが次から次へとめまぐるしく登場するにいたっては、消化不良感を抱くにいたった。
したがって、これまでの大村本とくらべれば本書はちょっと…と思いかけたものの、くだんの第6章・第7章を読み進めながら逆に気づかされたことがあった。
この二章は、とにかく下町生まれ・山の手生まれの文人たちが続々登場するのだが、登場は前後のつながりに注意して配列されている。同じ地域の生まれだったり、同窓・同級だったり、あるいは同じ年齢だったり。
「友達の友達は…」ではないが、そんな縁の連鎖で文人たちを並べるために費やされた労力は並大抵のものではなかったはずであり、その着想は卓抜である。
たとえば人物の要項をメモしたカードを目の前に広げ、あれこれ迷い、並べ替えを繰り返しながら構成を組み立てる。それぞれ前後の人物の間には、何らかの縁がひそんでいる。その配列は、まさに名編集者ならではの編集力が発揮されたに違いない。
本書を読んで、かりに「このくらいの短い評伝なら、参考文献をまとめれば自分だってできる」と不遜な考えを抱いた人がいたとしても、これだけの並みいる文人たちの情報を処理して読めるまで仕上げる過程を想像すると、自分などは気が遠くなる。根気がないとできない作業ではあるまいか。まずこの点だけで敬服してしまう。
大村さんの書き方は、自伝や評伝などを挿話として還元し、一人称でも二人称でもない、対象との間に絶妙な距離感を保った「物語」に仕立て直した独特の語り口で、それが逆に本書のような短い挿話の連続だとよくわかる。
本書で述べられているような東京生まれの人びとの底流に流れているのは、東京人特有のはにかみであった。結城昌治吉村昭両氏を取り上げた箇所にある次の言葉は、その代表的な表現だろう。わたしは田舎者ゆえに、そうした気質に憧れる。

関東大震災後、東京の人口が膨脹し、周辺一帯が開発されると、その区分はあいまいとなり、いつしかぼやけた。しかし、東京人の気質というものはわずかながらでも残った。結城も吉村も昔からの東京人の律儀な節度を終生持ち続けた。人の先頭に立つことを嫌い、自分なりの流儀を守って、そこそこに生きるのを身上とした。(275頁)