「随時小酌」の精神

我もまた渚を枕

今日も昨日につづいて『東京人』連載がまとめられた本の話。今日の本はつい最近まで連載されていた文章だ。
川本三郎さんの新著『我もまた渚を枕―東京近郊ひとり旅』*1晶文社)を読んだ。『東京人』連載の「東京近郊泊まり歩き」がまとめられたもので、先行して連載されていた兄貴分の「東京泊まり歩き」は昨年の同じ頃『東京の空の下、今日も町歩き』*2講談社)として刊行され、ここでもこの本の良さについて飽きることなくくりかえし触れたものだった(→2003/11/14条11/16条など)。
そして弟分の本書もまた、期待に違わない面白さ。今回川本さんは東京を飛び出して、首都圏近郊の町歩きに出かける。出かけた町は、船橋、鶴見、大宮、本牧我孫子、市川、小田原、銚子、川崎、横須賀、寿町/日ノ出町/黄金町、千葉、岩槻、藤沢/鵠沼、厚木/秦野、三崎。大都市もないわけではないが、何とも渋いセレクションであることよ。
高架になっていない鉄道に乗り、ピカピカでない昔ながらの駅舎に喜ぶ。駅前の大衆食堂で腹ごしらえをして、歩きに歩く。歩き疲れたところに銭湯でも見かけたものなら、洗面道具・替えの下着持参なのでふらりと入り込む。
荷風林芙美子、太宰、石川淳、白秋*3らの作品に描かれた場所、小津映画や成瀬映画、さらには近作の映画のロケ地、俳優たちの出身地を訪ねては作品をしのぶ。夕方になれば「ビールタイム」(131頁)。町歩きの途中に目星をつけていた居酒屋や大衆食堂、銭湯で知り合った地元のおじさんから聞いた店などに一人入り、お店一押しの肴、どこにでもある定番の肴でビールやホッピーをぐいっとやる。
宿泊もその時の気分次第。ほろ酔い気分で宿に戻ったら、携えてきた小説や、町歩きで立ち寄った古本屋で仕込んだミステリを読みながら、缶ビールをまたくいっと。
朝は早起き。近くに吉野家があるとそこで納豆定食は欠かさない。のんびり歩いて古き良き昭和の町並みを見つけることに至上の喜びを見いだす。
まいったな。川本流町歩きの術にすっかり影響されてしまっている私。もっとも一人で居酒屋などにふらりと入ることはいまだにできない。せいぜい出張した朝、ホテルで朝食をとらずに吉野家まで出かけて納豆定食を食べる楽しみを味わう程度。こんな素敵な本を読んだら、ますます川本流町歩きの術を実行したくてウズウズしてきたではないか。
これまでの町歩きエッセイでも述べられていたかもしれない、川本流町歩き術の名言集。

やはり町歩きは、なんでもない町の通りを歩いているほうが楽しい。(65頁)
町歩きの楽しみは、表通りの裏に、もうひとつの町を見つけることである。(180頁)
それでも町歩きの楽しさは、一見何もない町に何かを見つけることにある。(234頁)
表題の「随時小酌」とは、林芙美子のエッセイに出てきた言葉だという。川本さんは「いつでもご自由に店に入って、しばらくお酒を楽しみなさい」という意味だろうと解する。
知らない町で、何気ない居酒屋でビールを飲む。「随時小酌」である。そのわずかな時間だけ、町の住人になったような気分になれる。他所者のひそかな楽しみである。旅とは、日常生活からしばし姿をくらまし、行方不明になることでもある。(「あとがき」)
本書の白眉は川崎長太郎「抹香町」の舞台を訪ねる小田原歩きだろうか。歩いた町の姿とそのときの自分の感情を淡々とスケッチする川本流町歩きエッセイが、ふと幻想の迷路にまぎれこんだ瞬間。もっとも私は東京東部に住む人間だから、自然大宮・我孫子船橋・千葉・銚子・市川・岩槻あたりへの「旅情」を誘われた。

*1:ISBN:479496644X

*2:ISBN:4062118947

*3:いま川本さんは、荷風・芙美子につづいて、『大航海』に白秋の評伝を連載中とのこと。だから本書に白秋は時々登場する。連載が本になるのが楽しみだ。