廃墟好きの心理

乾隆帝

よく“廃墟マニア”という言葉を目にするが、あれは具体的にどういった嗜好を持つ人たちをそう呼んでいるのだろう。かつては栄華をとどめていた建物が廃墟と化したという無常観を好む人なのか、誰にも見向きされなくなった廃墟という廃れきった様子が好きな人なのか、そこにかつては人間が生活を営んでいたというありさまを想像することが好きな人なのか。
マニアというわけではないと思うが、わたしも廃墟と聞くと心うずくことがないわけではないし、町を歩いていて廃墟めいた建物に心を奪われそうになることがある。そのような意味で“廃墟好き”であるのことは間違いない。なぜそうしたものを好むのかといった心性を自己分析すると、たぶん、こういうことなのだと思う。
かつて人間が生活を営んでいたありさまが髣髴とされる建物なり庭園(この場合「廃園」だろうが)が廃れきって人も寄りつかず、管理する人もいないので、荒廃し、薄汚れ、壊れ、壊されて「廃墟」となる。そんな空間が、スクラップ・アンド・ビルドがすさまじい速度で進行している現代において、どういうわけか取り壊されず「廃墟」という状態のまま「保存」されている。
そんなところに惹かれるのだ。徹底的に無視された空間とも言うべき、現代においてきわめて異質な存在が気になって仕方がない。
中野美代子さんの新著乾隆帝―その政治の図像学*1(文春新書)を読んで、そんな自分の「廃墟好き」が久しぶりにうずいた。
清帝国の繁栄を築いた大皇帝である乾隆帝。中野さんのこの本は、皇帝乾隆帝の支配欲が凝集されている絵画や詩文などを手がかりに、彼が広大な国土を統治するために仕掛けた壮大な演出力を明らかにした。中国に関する本を読むといつも思わされるのは、スケールの違いであり、乾隆帝はそれに輪をかけて段違いにスケールが大きい。
少数民族である北辺の満族が、多数民族漢族が住む南方を侵略してうち立てたのが清である。さらにチベット内蒙古など、周辺の地域をも支配下に収めるため、乾隆帝はそれら他民族の衣装を身にまとって仮装する。もっとも仮装といっても実際に服を着るのではない。宮廷画家たちに“仮想の仮装姿”を描かせるのである。
乾隆帝は即位まもない時期に在位60年を限りに退位するという意志をもっていたらしい。在位37年目、62歳の皇帝は在位60年目の85歳に退位することをようやく公言する。62歳の皇帝があと23年在位するつもりであるという自信、バイタリティに驚く。そして実際85歳まで生き抜いて、立派に退位したのだから感服するではないか。
皇帝は好んで詩を詠んだという。その数5万首。在位60年で割れば、一日2.3首、皇子時代を含めても一日1.9首の「生産量」となるという。しかも、自分の作った庭や建物などにちなんだ詩を漏らさず符牒のごとく詠み、それらの詩には詳細な自注まで付けられるという註釈魔でもあったらしい。それら詩や自注には、公文書や公的記録にも見えない記事があるというから、史料的価値も高いのだ。芸術的価値はそれほどでもないらしいが。
帝は詩癖、註釈癖だけでなく、造園癖も持ち合わせていた。そんな乾隆帝が、お気に入りの宮廷画家にしてイエズス会宣教師であるジュゼッペ・カスティリオーネに命じて西洋庭園を造らせた。紫禁城西郊に造らせた庭園「長春園」には、広大な中国風庭園の北辺部に東西に細長い帯状の西洋庭園部分が設けられていたのである。
この清皇帝の西洋庭園の奇矯さについては、中野さんの小説『カスティリオーネの庭』がある。むかし読んだことを懐かしく思い出す。この長春園は、1860年における英仏連合軍の北京入城により徹底的に破壊され、石造だった西洋庭園の堅牢な建物が廃墟化する。その廃墟化した西洋庭園の写真に心動かされてしまったのだ。しかも著者が1996年に撮影した写真では、廃墟のままずっと存在しているから、さらに惹かれずにはいられない。
廃墟を廃墟のままにしておく。復元するのでもなく、たぶん「廃墟の遺跡保存的保存」でもないのではないか。自然のままの廃墟がほったらかしにされているのが素晴らしい。遺跡というと立派な文化的価値があることを前提に保存された歴史的遺物という意味合いだろうが、廃墟となると、文化的価値とは無関係に(実際「長春園」の廃墟は文化的価値はあるだろうが)消えないで「そこにあるもの」という感じになる。わたしはその意味で「遺跡好き」というより「廃墟好き」なのかもしれないことに、いま気づいた。