第94 アール・デコと内田ゴシックの白金

建築の記憶

東京都庭園美術館の展覧会「建築の記憶―写真と建築の近現代―」を心待ちにしていたので、初日の今日、さっそく白金に足を運んだ。庭園美術館、つまり旧朝香宮邸を訪れるのは三度目か四度目になるだろう。
展覧会は、明治維新直後、記録のため撮された江戸城や熊本城など城郭写真から、建築設計に資するため建築家自身によって撮影された建築写真、日本の近代建築のなかでも異彩を放つ建築物の写真や模型などなど、すこぶる刺激的なものだった。
維新直後の熊本城はけっこうボロボロだ。ささら子下見で統一された宇土櫓はまるで廃屋のようで、何層目かの窓にしつらえられていたとおぼしい戸板が外れ、瓦屋根の上に落ちそのままになっている様子が侘びしい。風で吹き飛ばされ、隣の家の屋根の上に落ちて、取りたくとも取れなくなった洗濯物のよう。
ここに展示されている写真は、みな一流の写真家による作品であり、被写体となっている建築物は一流の建築家による作品である。そしてそれらを展示している器(美術館)も超一流。これ以上ない三位一体の展覧会である。代々木体育館や東京カテドラルを設計した丹下健三は何だかんだ言ってもいい作品を創っている。
展覧会は初日ゆえか(本当はそうであってはいけないが)、図録(3000円)がまだできあがっていなかった。購入希望者は住所氏名を書き、お金を払えば後日(2月10日頃とのこと)送付してくれるとのこと。展示写真や、被写体の建築物、建築家・写真家らの情報をゆっくり図録で眺めたかったので、購入を決める。

アール・デコの館」として知られる美術館(旧朝香宮邸)は、何度訪れても素晴らしい。展示物を観るだけでなく、各部屋をめぐり、部屋ごとに異なる意匠に目を凝らす楽しみもある。今回注目したのは、三階のウィンターガーデンと呼ばれる白黒タイル貼りの温室だった。モダンな白黒タイルは二階のベランダと同じである。ここの中に入るのは初めてのはず。帰宅後、増田彰久(写真)・藤森照信(文)『アール・デコの館』*1ちくま文庫)を取り出し、それぞれの空間の記憶を反芻する。
展示と建物を堪能して、久しぶりに白金界隈を歩くことにした。美術館の前を通る目黒通りを高輪方面にしばらく歩くと、東京大学医科学研究所(病院)と国立公衆衛生院が見えてくる。東大本郷キャンパスの建物と同じ内田祥三設計による、茶色系統のスクラッチタイルがほどこされたいわゆる「内田ゴシック」の重厚な建物である。
 
目黒通りからこれらの建物を見たことはあるが、構内に入ったのは今日が初めてだ。60年代の映画で、大学キャンパスとして使われることがあった(大映の「月に飛ぶ雁」「親不孝通り」)。医科学研究所病院は、背後に立派な病棟が聳えているものの現役だが、谷間を挟んで向かいにある公衆衛生院はすでに使われていないらしく、フェンスに囲まれ、廃墟然としてしまっている。この建物が今後どうなるのか、とても心配だ。大学の建物であれば、壊さずそのまま使われそうだが、国の施設となれば、あっさり取り壊されてしまうのではないかという懸念がある。
さらに目黒通りを歩くとブックオフ白金台店がある。一階にカフェが併設されているお洒落な店で、さすがブックオフも白金にあると違う。
ブックオフを出て、目黒通りから三光坂に入る。三光坂が下りにさしかかるあたりに、あの服部時計店(現和光)の服部金太郎旧邸がある。1999年7月にこのあたりを歩いて以来だから、9年半ぶりになる。そのとき敷地は鬱蒼とした木々に囲まれ、なかの建物が見えなかったが、今日は庭木が剪定されていたため、建物の一部が高い塀の外から確認できたのが嬉しい。塀に沿って裏に回ると、昭和8年に立てられた洋館*2の背後にある和館も見ることができた。

旧服部邸の手前に、おまわりさんが一人立つお屋敷があった。入口にポリスボックスがある。通り過ぎるとき表札をちらりと見ると「伊吹」とあった。自民党伊吹幹事長の私邸なのだろうか。さすがいいところに家がある。
白金高輪駅まで歩いて地下鉄南北線に乗り、やり残した仕事をするため職場に立ち寄る。よく考えてみれば、ふだんわたしが仕事をしている建物も内田ゴシックなのだった。白金にあるアール・デコの館なかでさまざまな建築写真を楽しみ、白金の内田ゴシックから本郷の内田ゴシックへとたどった一日。今日の散歩は建築づいたものとなった。

*1:ISBN:4480027149

*2:東京建築探偵団『建築探偵術入門』(文春文庫ビジュアル版ISBN:4168110036