オイチニイの薬売り

足摺岬」(1954年、近代映画協会・北星映画)
監督吉村公三郎/脚本新藤兼人/原作田宮虎彦木村功津島恵子砂川啓介/信欣三/内藤武敏金子信雄森川信河原崎建三原ひさ子/御橋公/殿山泰司/菅井一郎/芦田伸介/神田隆

今夜も、家族が寝静まった夜更け、一人映画鑑賞タイム。「世界柔道」も見たいが、見ているとつい力が入り息苦しくなってくるので、映画を優先させることにした。
今年の春、千石の三百人劇場で企画された吉村公三郎監督特集(「吉村公三郎 女性映画革命」)のなかで、もっとも観たいと思いながら、曜日や時間の都合があわず泣く泣く断念した映画が、この「足摺岬」だった。
この映画が昔の本郷界隈の貴重な風景を映していることを何かで知り、かねがね観たいと思っていたのだった。そのとき見逃したのは痛恨だったけれども、チャンネルNECOで流され、録画できたのは幸いだった。
それにしてもこの映画はしみじみ良かった。傑作だ。またしてもポロポロと涙をこぼさずにはいられなかったので、一人で観ていてよかった。三百人劇場のスクリーンで観ていても、きっと鼻をすすることになって恥ずかしく感じたに違いないし、ましてや家族が起きていれば、自然に流れる涙をおさえて、感動も半減したかもしれぬ。
時は昭和9年、世間は軍国主義に傾きつつある。大学進学に反対され、養父から仕送りをもらえない帝大の貧乏学生(木村功)が主人公。菊坂下あたりに下宿している。実母(原ひさ子)は彼を陰から応援する。原ひさ子さんはこのときすでに老母役なのだなあ。木村がアカの嫌疑で留置場に入れられ、出てきたところから映画は始まる。同じ下宿にはマルクス主義のインテリ先生(信欣三)もいて、薄気味悪い特高の刑事(神田隆)が下宿への警戒を怠らない。神田の薄気味悪さは真に迫る。彼の存在を象徴的に示す蝙蝠傘というアイテムが何とも言えぬ不気味な気分をかきたてる。蝙蝠傘を障子の割れ目に差し込んで障子戸を開けるという傍若無人さが特高特高たるところか。
木村は下宿代も満足に払えず、菊坂にある大衆食堂のつけもたまっている。ガリ版切りのバイトで生活費を稼ごうとするが、うまくできずしくじってしまう。大衆食堂に住み込みで働き、ひそかに木村に思いを寄せる女性が津島恵子。勤勉に新聞配達をしている彼女の弟(砂川啓介)は、木村と同じ下宿の隣人。ひと部屋を間仕切りして借りており、二人はその壁越しに会話する*1姉弟の兄は捕虜となり銃殺されたため、「非国民」と後ろ指をさされている。
ある日この弟が強盗の濡れ衣をかぶせられ、留置所で暴行を受け、容疑が晴れて下宿に戻ったものの、傷心のまま自殺してしまう。津島はこれを機に母の住む足摺岬(土佐清水)に帰ることになる。
不遇で優しかった母の訃報を受け、さらに自らも結核で倒れたすえ、木村は下宿を引き払い、死を覚悟して足摺岬に向かう。下宿の大家には、脊椎カリエスで寝たきりの少年がいる。彼が可愛がっていた金魚鉢の金魚を何かと気遣ったのが木村だった。木村は、身の回りのものを質に入れたお金で、東大正門前の本屋*2からアンデルセン童話集を買い求め、別れのプレゼントとして少年にそれを贈る。
このあたりのシークエンスが泣けるのだ。正岡子規と同じ病で、治らぬことを覚悟してただ天井を見つめ、木村をはじめとする下宿人たちの行動をつぶさに目で追う観察者の少年、たれ目で愛嬌があり、どこかで見た顔だなあと思っていたら、あとで確認すると何と河原崎建三さんだった。たしかに面影がある。
後半は、死を覚悟した木村が、津島が身を寄せる足摺岬の旅館におもむくというストーリー展開になる。ずぶ濡れになりながら宿に着いた木村を介抱して、焼酎で薬を飲ませる薬の行商人に殿山泰司。また、同宿人で四国遍路の旅をつづける、人生の酸いも甘いも噛みわけたような老人に御橋公。
殿山泰司の役がとても鮮烈な印象を残す。彼は手風琴を弾き、唄いながら薬を売り歩く、いわゆる「オイチニイ」の薬売りなのだ。昔を回想するエッセイを読むとときおり目にする「オイチニイ」の薬売り、こういう商売なのかと蒙を啓かれた。仲田定之助『明治商売往来』*3ちくま学芸文庫)によれば、「オイチニイ」の薬売りは「生盛薬館の薬売り」とある。

金モールの筋を何本も巻いた軍帽のようなものをかぶり、黒羅紗に両前金ボタンという軍人の礼装まがいの上着には金ピカの胸章や、肩章が、そして腕には金筋や、渦巻がいくつもついているのを着、その上に肩から大綬のようなものを斜めに下げ、腰には鞄をぶらさげていた。赤い太筋のついたズボンに靴をはき、手には手風琴を持っている。なんとも珍妙な姿だった。(「生盛薬館の薬売り」)
この音楽入りで、陸軍将校のように盛装した薬屋さんは少なくとも子供たちの好奇心を満足させるに充分だったから、〝せいせいやかん〟のおじさんがくると、大勢ついて歩くのだった。そしておじさんが歌の一節を唄い終ると、ユーモアたっぷりに「オイチニイ」と歩調をとって言う。子どもたちもそれに続いて「オイチニイ」と連呼する。(同前)
殿山の身なりは仲田さんが描写するそのままの軍服まがいで、彼がもの悲しい音色の手風琴で郷愁に満ちた「オイチニイ」を唄うと、土地の子どもたちが大勢彼の後ろについてくる。こんな商売が映画のなかに取り入れられただけでも、この映画は貴重だ。
しかし子供に人気はあっても、商売の業績は必ずしも香しくなかったのかも知れない。一時はこの生盛薬館の薬売りの姿を東京の街々でよく見かけたが、いつか消えた。そして都落ちして地方の小都市の街や、辺鄙な山間の街道などで、着古して羊羹色になった例の軍服姿で、手風琴をかかえたピエロのように歩いているのを見かけた。(同前)
殿山泰司の薬売りは、さながら「都落ち」のなれの果てといったところなのだろう。映画のなかでもキラリと光る人物だ。
この映画に憧れていたいまひとつの理由が、川本三郎さんの『日本映画を歩く』*4JTB)だ。「足摺岬から宇和島へ、「てんやわんや」の津島町へ」の一章で、この映画のロケ地を訪ね歩いたことを記している。たまたま見かけた家が映画のロケ地だったり、街角のスナップ写真を撮ろうとして「川本三郎さんですか」と映画ファンの地元の人から声をかけられ、「足摺岬」のロケ地を教えてもらったり、偶然が偶然を呼んで川本さんの興奮ぶりが伝わってくる、映画好き必読の一文だった。
先日「喜劇 駅前百年」を“職場の映画誌”に加えるべき作品と書いたが、この「足摺岬」は“本郷の映画誌”に加えるどころか、その代表としてあげるべき作品なのかもしれない。菊坂の風景、東大正門前の書店(本郷通りを戦車が行軍している)、木村・津島が歩く西片の空橋、田舎に帰る津島を木村が見送り、別れの場となる聖橋。お茶の水駅の聖橋側の入口のたたずまいは、いまとそう変わらない。“銀幕の東京”の貴重な作品だ。

*1:同宿人の学生に、香具師のバイトをする内藤武敏がいて、儲けがあったからと、みの家本郷支店で木村に桜鍋をふるまう。本郷にもみの家があったのか。

*2:いまでも古本屋はあるが、昔は正門前にこんな風格のある新刊書店があったのだなあ。

*3:ISBN:4480088059

*4:ISBN:4533030661