『エロトピア』小考

エロトピア2

野坂昭如さんの『エロトピア2』(文春文庫)を読み終えた。
この本で一貫して主張されている「マスターベーション礼讃」と「セーラー服願望」は、とことんまで突きつめれば、ほとんど即物的、虚無的な思想になることがわかる。とりわけ前者にその傾向が顕著だ。
前者は、裏を返せばセックス不要論であり、進んで(性愛という場における)女性不要論になり、これは女性には性欲がないのではないかという懐疑論からも導かれる。つまり女性(=女房)には性欲がないのだから、夫が妻への独占欲を発揮するのは無駄なことだというわけで、そこからさらに議論は一夫一婦制への矛盾へと展開する。

ぼくは、かねがね、女には性欲がないと考えている。また、性的な快楽を享受する能力もないと信じこんでいる。よく、男に抱かれてのたうちまわり、阿鼻叫喚ただならぬ具合をみせ、ついには気を失ったりするのは、すべて錯覚であり、一種の自己催眠にかかっているだけのことなのだ。(「26 おんなの錯覚を論ず」)
この際、男は考え直すことだ、妻が友人とベッドに入っていても、それは、友人と店屋ものの鰻が何かたべているところへ、出くわしたと同じようにながめるのが当たり前、それ以上にどんな意味があるというのだ。粘膜の接触以外何ものでもなく、妻によろこびを与えてまれてありがとう、お務めを一回分たすけていただいたのだから感謝するべきではないか。枠の中にしばられ、強制された一夫一婦制度の間柄でしか、夫と妻が共同生活を営めないというのなら、それは解消したほうがいい。(「56 女房解放の旗手ならん」)
さて山藤さんの挿絵はますます快調、作者(野坂さん)のいじくり方もヒートアップする。野坂さんの遅筆は村松友視さんの『夢の始末書』などで知られるところだが、山藤さんもこれには悩まされたらしい。第14回では、「野坂氏の原稿が遅くて描く時間が2時間しかなく、完全に逆上、興奮、復讐の鬼と化したイラストレーター」の文章入りで、複数枚描かれている江戸時代の春画の男をすべて野坂さんに差し替えた絵を描いている。
さらに、8/21条のコメント欄でchaotzさんによってご指摘ずみだが、あまりの原稿の遅さに業を煮やした山藤さんは、谷岡ヤスジ風の絵で、包丁を野坂さんの脳天に突き刺し、「もっと早くしてくれちゅーとんのがわからんのかワリャー」と怒りまくるイラストを描く。野坂さんは鼻血ブーとなっているのがおかしい。
この図柄が谷岡ヤスジ風なのにはれっきとした理由がある。本文中で野坂さんは、巷間鼻血が精液放出の代償作用のごとく信じられていることを疑い、「もし本当ならば、谷岡ヤスジの主人公風に、実演してもらいたい」と書いてあるのを逆手に取っているのだ。このような、本文の内容を逆手に取ったり、揚げ足を取ったり、テーマを援用してまったく文章とは無関係のイラストを描く方法からは、ほとんど夕刊フジ流は目の前にある。
第1冊目を読んだとき(→8/30条)、山藤流イラストの誕生が『エロトピア』であるというご本人の発言をより緻密に検討する必要があると書いた。山藤流イラストの特徴であると本人が指摘する似顔絵・文字入りの二点において、第1冊目はそれほど顕著でなかったからだ。
そこで第2冊を読んだいま、あらためてこの問題を考えてみよう。それにあたって、きわめて原始的なやり方で笑止ではあるが、野坂さんの似顔絵の登場頻度、文章の登場頻度を数えることにした。
それぞれ57回分の連載があり、第2冊は「あとがき」ならぬ「あと描き」があるので、58葉のイラストが収められている。これを10回分ずつに区切って、似顔の登場回数と、イラストに描かれた文字の数を集計した。最後の51回からは、それぞれ7回分・8回分と中途半端になるが、気にせずそれでひとまとまりとする。また文字は、枠の中の空白に書き込まれた文章以外に、イラスト中に描かれた文字も数え、アルファベットも一文字分とした。ただし何を文字と見なすかという基準を曖昧に数えたため、数値はかならずしも厳密ではない。あくまで大雑把な傾向を示すものと理解していただきたい。
その結果が下記の表である。回数の数字を太字にした下半分が第2冊目にあたるが、見ると一目瞭然、第2冊目で野坂さんの登場頻度が多くなっていることがわかる。文字は第1冊目の終盤から徐々に多くなり、その傾向が第2冊にひきつがれる。
回数 似顔 文字数
1-10 1 30
11-20 0 53
21-30 1 26
31-40 1 95
41-50 0 491
51-57 1 114
1-10 2 289
11-20 4 367
21-30 2 184
31-40 5 210
41-50 4 448
51-58 6 552
著者の似顔絵を描いていじったり、文章の中味とは微妙にずれるイラストを描くというのは、原稿の遅さに苛立ち、描く時間を確保するため文章を読むいとまがなかったための副産物なのかもしれない。
山藤さんは、野坂さんがイラストを受け「コンニャロー、山藤の野郎め」と文章で応酬し、その掛け合い漫才的なところがウケたと書いているが、第2冊を読むかぎりそうした文章はない。単行本化のさい削除された可能性がある。もっとも、文章中男女に会話に出てくる人名を、「山藤」「章二」とおちょくるように名前をはめこみ復讐することはあった。
前記した「あと描き」では、2年3ヶ月にわたる『エロトピア』連載の前後の野坂さんと山藤さんの変貌が、それぞれ描かれている。山藤さんだけ注目すれば、自画像にそれぞれ連載前は「鬼才野坂氏と組む大仕事にオドオドして絵を渡してる」とあり、連載後になると「エロトピアの仕事でさしえ賞とマンガ賞をいただき、がぜん態度大きくなり各方面のヒンシュクを買ってる」というキャプションが付く。連載後は背広を着て腹が出、煙草を口にくわえ髪も長め、多少尊大な雰囲気である。
すでにこの時点で『エロトピア』の仕事は、山藤さん自身によって、大きな変化をもたらすものであったことが認識されていたわけである。そこから夕刊フジ連載物へとつながり、現在の山藤イラストへと展開していくのだった。