歴史を学ぶということ

復興計画

ハリケーンカトリーナによる米ニューオーリンズの水害は甚大だ。町から完全に水を抜くためには数ヶ月はかかるというから、ふつうに生活できるようになるまで復旧するには、どのくらいかかるのだろう。掠奪などの犯罪が発生し、犯人と警察、州兵との間で銃撃戦が展開するというのもアメリカ社会の病理を如実に示したと言ってよい。
今回の水害ではじめて知ったのは、ニューオーリンズという町が、川や湿地に挟まれたすり鉢状のゼロメートル地帯に広がっているということ。今回のハリケーンの規模が想像を絶する大きさだったとはいえ、ひとたび川が氾濫すればこうなるというのはある程度予想がついていたのではないか。もとより市もそのための対策は怠っていなかったというから、「人災」というレッテル貼りはまぬがれるのだろうか。
となると大事なのは、二度とこうした災害をこうむらないための対策と、今回の災害から復旧へいたるプロセスの詳細な記録、後世への伝達という点にあるだろう。ちょうど越澤明さんの新書新刊『復興計画―幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで』*1中公新書)を読んでいたおりだけあって、災害復旧・復興の重要性が心にずしりと響いたのである。
いま「災害復旧・復興」のように、復旧・復興をわざわざ併記したが、越澤さんによればこの二つの言葉ははっきり異なる意味を示すとされている。復旧とは、「文字通り、元の状態に戻すこと」であり、復興とは、「新たな質と水準を加えること」だという(「はじめに」)。
二つの言葉の違いは、越澤さんの提起によるものではなく、すでに公的な認知を得ている歴史的なものであったらしい。日本の戦災復興に関するこんなエピソードが紹介されていた。

戦災復興という言葉は、当時のGHQの御気に召さず、敗戦国は復興などはおこがましい、復旧でよいと反対されたが、これを決めるに大橋課長他幹部の苦労があったのである。(157頁)
たしかに言われてみれば二つの言葉のニュアンスの違いを納得することができるけれども、これまで明確に意識して使い分けをしてきたわけではないことに、こうした事業への認識の低さをうかがうことができる。
日本は地震国であり、また住宅は木造が一般的だから、「大火」と呼ばれるような火災による都市の被害も多く見られた。さらに第二次大戦による空襲の被害、いわゆる「戦災」もあって、その意味では復旧・復興いずれにもぶ厚い教訓とノウハウ、歴史を持っているはずである。
ところが本書で強調されているのは、復興に関する記録、復興に尽力した人びとの意図が後世のわたしたちには忘れられてしまい、復興された都市計画にプラスの作用を与えていたような「正の遺産」が食いつぶされてしまっているという危機感である。
たとえば、関東大震災の復興事業のなかで実施された、小学校に小公園を隣接して設け、両者が一体となって地域コミュニティの中心となるよう配慮されているという思想。これは復興の具体的計画を担った東大教授佐野利器により推進されたそうだが、その後1950年代の人口急増期、一部の小公園が学校用地に転用され、廃止された。そしていまや子供人口の減少で東京都心部の小学校の統廃合が急激に進行中である。
現在、小学校と小公園はいずれも区役所が管理しており、区の土地である。各区の廃校跡地利用については明確な都市政策上の方針がなく、その都度、場当たり的に決めているのが実情であり、廃校となった校舎や隣接する小公園が帝都復興事業の遺産であるとの認識は、区長、区役所、区議会、区民には希薄である。(81頁)
小学校の統廃合により廃校となった学校をいかに利用するか。そのためには、その学校がいかなる考え方で建てられたのか、また、隣接する小公園といかなる関係を持っているのか、知っておく必要がある。
しかしながら、行政側も、住民側もそのことに無知であるため、あたら有効な土地利用ができないまま、高層集合住宅やオフィスビル用地として売却されてしまう。そもそもその場所が都市東京のなかにおいていかなる役割を与えられ、つくられたものなのか、原点に遡って考える必要がある。これが本書に一貫して流れる主張である。
都市計画を根本から変えてゆく(=復興)という大事業は、それこそ大規模な都市災害が起こり、町が壊滅的被害をこうむらないかぎり、手をつけることができない。変な言い方だが、都市災害こそが都市を変えうるチャンスなのだ。そしてそれが成功するか否かは、行政側、受け入れる住民側に、復興に関する理解があるかどうかにかかっている。
戦災復興事業の意義と成果は国民にもっと知られてよいはずである。しかし、学校の郷土史で教えたり、博物館に展示したりすることはほとんどなく、地元公務員や都市計画の専門家でさえ無関心であることが多い。これが阪神・淡路大震災の復興区画整理都市計画決定の際、世論の反発、マスコミの誤解、専門家の冷淡さなどをまねいた遠因である。(174頁)
ニューオーリンズの町がいかなる「復興」を遂げてゆくのか、そうした記録がマスコミによってなされ、数年後、この町がどのように変わったのか、わたしたちに伝えられるのかどうか、行く末を見守っていかなければならない。