釜足・夢声・緑波を思う

「音楽喜劇 ほろよひ人生」(1933年、P.C.L.)
監督木村荘十二/脚本松崎啓次/徳川夢声/大川平八郎/藤原釜足千葉早智子/神田千鶴子/堤眞佐子/古川緑波大辻司郎/横尾泥海男/丸山定夫

この映画は東宝の前身P.C.L.の記念すべき第一回作品なのだという。駅ホームのアイスクリームの売り子をしている藤原釜足が主演といっていいのだろうな。同じく生ビールの売り子千葉早智子に恋心を抱くものの、恋破れるという物語。藤原釜足という役者さん、たとえばいまパッと思い出したのは黒澤明「悪い奴ほどよく眠る」や小津安二郎「東京暮色」での印象的な脇役。
彼については、戦前は「藤原釜足」という芸名が不敬だというので鶏太と改名したという挿話も思い出す。高瀬実乗が出演しており印象的な成瀬巳喜男監督の「旅役者」にはこの鶏太の名前で主演していたはずだが、あまり記憶にない。東宝草創期においてはこんな大切な役者だったわけだ。
調べてみるとエノケンと並ぶカジノ・フォーリーの人気スターで、退座後初の出演映画がこの作品だったことがわかった*1。初物尽くしでついでに言えば、この映画はかの徳川夢声の初出演作品でもあるという。濱田研吾さんの『徳川夢声と出会った』*2晶文社)巻末の略年譜1933年の条で知った。

『ほろよひ人生』(P.C.L.)で映画俳優デビュー。主題歌も作詞するが、映画も主題歌もヒットせずガッカリする。(八月)
映画で何度も唄われていた「恋の魔術師」は夢声の作詞なのか。観終えてしばらく経ってもあのメロディが頭のなかに流れつづけていたけれど、そうか、ヒットしなかったのか。映画もまた。
濱田さん編の略年譜によれば、この年は夢声人生の転機であったようで、三月に武蔵野館を退職し弁士失業、四月にロッパの「笑の王国」旗揚げに加わり、八月に初の映画出演(本作)とめまぐるしい。さらに年譜で驚くのは、このとき夢声は39歳であったこと。いまのわたしと同年でないか。映画の夢声はもっと貫禄があって、もっと年配だと思っていた。「人生に無常を感じ俳句を詠むようになる」とあるのには、苦笑しつつ、つい共感してしまう。
映画では、「恋の魔術師」を唄う大川平八郎を音楽学校から放校処分にする校長役と、彼を雇うレコード会社社長の二役(?)を演じているのだが、放校処分を決定するときの会議における彼の一人芝居は、たぶん弁士としての彼の特性が活かされているのだろう。観ていて快かった。
古川緑波の場合、この作品は特別出演といった按配で、ワンシーンにしか登場しないが、公園で相手の女性と朗らかに唄い交わすシーンは、これも観ていて爽快だった。これだけですっかり観客の心をさらっていくのだから、この時期の緑波の勢いを感じる。残念ながら『古川ロッパの昭和日記』*3は翌年昭和9年から始まるので、この映画の制作過程についての記録は残されていない。
大川平八郎の相手役千葉早智子。言わずとしれたのちの成瀬巳喜男夫人(すぐ別れるが)だが、話し方や身振り、笑顔が媚態めいて受けつけない。でも普通の顔つきはすこぶる付きの美しさで、人形みたいに飾っておきたいという雰囲気の女優さんだ。
途中情けなくもウトウトしかけたが、釜足、夢声、緑波の演技を存分に愉しんで心朗らかに館をあとにしたのである。

*1:ウィキペディア「藤原釜足」

*2:ISBN:4794966008

*3:今月晶文社から復刊が始まるはずだけど、もう出ているのかしらん。