1961年の明朗と悲哀

「あいつと私」(1961年、日活)
監督中平康/原作石坂洋次郎/脚本池田一朗中平康石原裕次郎芦川いづみ轟夕起子宮口精二滝沢修小沢昭一清水将夫吉永小百合/細川ちか子/中原早苗/笹森礼子/高田敏江/吉行和子/浜村純/渡辺美佐子

石原裕次郎の骨折休養明け第一作で、26歳にして学生を演じる。関川夏央さんの『昭和が明るかった頃』(文春文庫)によれば、これが学生役最後となったという。大学生の性をテーマとして政治の季節にからめた明朗青春劇。
ちょうど混乱をきわめていた安保闘争に対する学生たちの関わり方も興味深いが(この点前掲関川さんの本参照)、この映画の面白さは配役で決まった、という感じ。安保闘争との関わりや、いかにも石坂洋次郎らしい性の問題について何か感想を述べるべきだろうが、それ以上にこの映画の配役のはまり方が素晴らしく、それだけで喜んでしまう。
不潔を嫌う凛とした女学生で、石原裕次郎に惹かれてゆくのが芦川いづみ。彼女にぴったり。また多少脳天気な石原の同級生に小沢昭一小沢昭一に学ランを着せるという妙。石原が26歳なら、小沢は32歳だ。また石原の母親で、有名な理容師「モトコ桜井」に轟夕起子。おおらかな人柄がこれまたピタリ。あいつと私 [DVD]
有名な妻を陰で支える「髪結いの亭主」で、でもちょっと妻に浮気心でも出ようものならさっさと荷物をまとめて家を出て行くふりをするか弱い亭主に宮口精二。これが意外だった。初めに出演者を見たかぎりでは、轟の夫は滝沢修だと予想していたが、意外や意外。そしてこの亭主に宮口精二を持ってきたところがこの映画の勝利でもあるかもしれない。髪の毛にパーマまでかけている。
その滝沢修は、実は轟夕起子と昔関係があった男で、石原の実の父親、いまはホテル経営者という設定。結局こちらのほうがはまり役。轟の弟子でかつて石原の家庭教師でもあり、高校生の石原に性の手ほどきをしたという魅惑の女に渡辺美佐子というのも絶妙だ。
小沢昭一宮口精二という意外性と、芦川いづみ轟夕起子滝沢修渡辺美佐子という他に替えられない適役がうまく絡んで、愉快な作品となった。

南の風と波」(1961年、東宝
監督橋本忍/脚本橋本忍中島丈博新珠三千代西村晃/星由里子/夏木陽介賀原夏子藤原釜足菅井きん飯田蝶子小池朝雄/富士栄喜代子/田中邦衛/浜村純/織田政雄/松本染升

「あいつと私」と同年の映画だが、あちらが都会的な雰囲気であるのと対照的に、こちらは高知の田舎にある漁師町が舞台。転覆死亡事故を起こしてしまった船乗りたちとその家族をめぐる悲劇である。
西村晃が船長である機帆船太平丸は大阪との間で積荷の運送をしている。西村の妻が新珠三千代。乗組員小池朝雄は、妻と子、母親(賀原夏子)、沖仲仕の弟田中邦衛と暮らす。また同じく乗組員夏木陽介は年老いた祖父藤原釜足と二人暮し(この老け役の藤原釜足が素晴らしい)。菅井きんの娘星由里子と恋仲だが、星が「器量よし」のため母菅井きんは良縁を探している。
映画は彼ら船乗りたちが大阪から帰ってきてしばし過ごす団欒を描いたあと、お盆のお祭りがすんでまた船出してしまう。ちょうど半ばほどで船が行方不明とのニュースが飛び込んで、家族たちを絶望のどん底に突き落とす展開になり、後半は夫や息子を喪った遺族たちが立ち直ってゆくまでを描いている。
西村一家、小池一家、夏木父子、夏木・星カップルなど家族や恋人たちの悲喜こもごもが過不足なく描かれた群像劇で、話の流れも緩みがなく飽きさせない。さすが橋本忍作品(監督・脚本)である。
二号さん(「死の十字路」「あした来る人」「黒い画集第二話 寒流」「洲崎パラダイス 赤信号」「乳母車」など)の色気に気品がある新珠三千代は、いっぽうで良妻賢母も適役という不思議な女優だ。「江分利満氏の優雅な生活」や先日観た「小早川家の秋」「神阪四郎の犯罪」(ただしこれはまったくの良妻賢母とは言えないか)を思い出すが、この映画も良妻賢母型で素敵である。
星由里子の美しさにはほれぼれする。芦川いづみと星由里子。いまのところ好きな女優二人だ。