第79 偕楽園の梅

偕楽園の梅

金曜日、本務の休暇をとり、別の仕事のため日帰りで水戸に出張に行くつもりでいた。ところがあの日はあいにく強烈な春の嵐が吹き荒れた一日で、最寄駅から電車に乗るといきなり動かない。次の駅との間の架線にビニールが付着して、その撤去のため30分待たされた。常磐線各駅停車で柏までたどり着き、駅構内の時刻表示板を見ると、乗る予定の特急(フレッシュひたち)が出ていない。
ここに示されたホームではないのかしらん、特急用の別のホームがあるのかと、数分間うろうろしているうち、何となく事情が呑み込めてきた。快速も大幅に遅れ、我孫子あたりまでしか行かないという。いわんや特急をや。水戸までまったく通じていないのだった。仕方ない。その日は柏からまた各駅停車で引き返すほかなかった。
あらためて今日、水戸に出かける仕儀となった。柏で無事特急に乗り換える。この季節、水戸偕楽園の梅の盛りで、特急は水戸駅の手前に設けられた偕楽園駅に臨時停車する。梅目当ての人が多いのだろう自由席は満席で、途中の石岡までデッキに立つことを余儀なくされた。
実はわたしも偕楽園駅で降りるつもりだったのだ。事前に用務先の場所を調べたところ、そこは偕楽園の隣にあり、最初は水戸駅からバスで行くつもりでいたのだが、偕楽園で臨時停車することを知り、梅見がてら偕楽園内を歩いて行くことにしたのである。特急を降りると、ホームには和服を着た「梅娘」と言うのか若い女性が数人立ち、偕楽園に向かう観光客にパンフレットを配っている。水戸はこの時期が観光のかき入れ時なのだろうな。
期待どおり梅は白梅・紅梅ともに咲き誇り、あたりには梅の香りが満ちている。園内にはお祭りのように出店が並び、さながら非日常空間である。桜の花見となると、木の下にシートを敷き陽気に酔っ払う集団で騒がしいが、梅となるとちょっと様子が違うらしい。ぽつりぽつりと見える程度だった。
もちろん花見時よりまだ肌寒いこともあるのだろうが、梅の木の下で酒を飲んで酔っ払うことは遠慮があるのだろうか。梅見は花見と違い、目だけでなく鼻でも愉しみたい。酒を呑んでその感覚を麻痺させるのはもったいないのだ。仕事をする前から梅の香りを吸い込み、リフレッシュして気分がおおらかになった。
仕事を終えて建物を出る。今日も風が強い。偕楽園の隣とはいえ敷地内ではない。心なしかそこにまで風が梅の香りを運んでくれているような気がする。梅園を歩いているようにほのかな梅の香りが漂っているのである。この季節のこういう風の強い日、花粉症の人はつらいに違いない。花粉症でないわたしは、申し訳ないなあと思いつつ、思いっ切り胸一杯深呼吸する。バスに乗って水戸駅辺に出てなお、梅の香りが街に漂っているような気がするのは、気のせいだろうか。
水戸の街を訪れるのは約15年ぶりだろうか。大学院生になりたての頃、研究会の旅行で訪れた。そんな記憶がまだ強く残っているのに、それから15年も経つとはつくづく馬齢を重ねたものよと、過ぎ去った時間に思いを馳せる。
水戸は賑やかなようで、寂れているようで、不思議な街だ。偕楽園のほうからバスで向かうと、水戸駅に向かって緩やかな下り坂になっている。たしか水戸駅の近くに水戸城があったはずで、そこが高台になり、駅は低地にあるという構造になっているのだろうか。
水戸城と大通りをはさんで向かい側には東照宮があるのだが、大通りから東照宮参道という標識のある横丁を見やると、アーケードがついた商店街(何とか銀座という名前だった)が続いている。けれども極端に寂れ、人一人歩いていないのだ。つぶれた店も多そうで、思わず怖いもの見たさでその商店街に足を踏み入れた。参道は途中から枝分かれし、商店街自体は緩やかに下って先まで続いている。それにしても駅から至近という立地にあるのにこの寂れ方。地方都市にはあり得ることとはいいながら、暗然とならざるを得ない。
水戸の街を気分よく楽しめたせいか、気持ちが大きくなった。久しぶりに古本屋をまわろうか。水戸では駅前に古本屋一軒とブックオフ一軒を見つけた*1。買ったのはブックオフからというのが、ちょっぴり悲しい。
帰りは柏までの乗車券を買い求め、車内では仕事のあとの缶ビールで酔い心地になり、ウトウトと居眠りをして気づいたころにちょうど柏に着いた*2。途中下車をして、いつも立ち寄る太平書林と古書森羅の二軒をのぞく。それぞれ収穫があって、ああやっぱり意気込まないでぶらりと気分次第で古本屋をのぞいてみるというのは愉しいと、気分よく家路についたのである。

*1:15年前の記憶では、駅前にもう一つ別の古本屋があったような気がするが、今回見つけられなかった。

*2:水戸から柏まで、特急で約1時間なり。