理由のわからぬ面白さ

空白の殺意

江戸川乱歩のカー(J・D・カー)贔屓は有名である。トリッキイな点、「探偵小説の鬼」乱歩の心を動かしたのだろう。乱歩によるカー作品への偏愛は、「J・D・カー問答」という対話形式の作品論であますところなく語られている*1
この「J・D・カー問答」は、カー作品を好きなものからランク付けするという読書心をくすぐるもので、アガサ・クリスティー作品を同様にランク付けした「クリスティーに脱帽」(前掲書所収)とともに、この乱歩の紹介文にみちびかれてカーやクリスティの作品に入ったファンも少なくないだろう。
もちろんわたしもその一人にほかならないのだが、クリスティーはともかく、カーのほうはその論理性と怪奇趣味いまひとつ自分の好みに合わないらしく、乱歩の文章で満足してしまったきらいがある。
カー作品の一位グループに推された諸作のうち、『皇帝の嗅煙草入れ』について、乱歩はこのように書く。

殊に三番目の「皇帝の嗅煙草入」は物理的に絶対に為し得ないような不可能を、不思議な技巧によってなしとげさせている。これはカーが処女作から十二年たっても、トリック小説に少しも飽きず、旺盛な創作慾を持ちつづけていた事を証する傑作だよ。(河出文庫版292頁)
また別の機会にも「非常に感心した」という賛辞につづき、このように書く。
このトリックはアリバイに関する不可能興味の最もズバ抜けたものである。不可能中の不可能が可能にされている。又ナポレオンの嗅ぎ煙草入れが極めて巧みな小道具として使われているが、この品についての一つの盲点が犯罪発覚の端緒となるあたり、実に心憎き妙技である。(「イギリス新本格派の諸作」、『幻影城光文社文庫版全集26巻*2所収)
これほどに絶賛されているとやはりミステリ好きの心はうずき、読まずにはいられなくなる。で学生の頃読んだはずなのだが、いまではどんなトリックだったのか、すっかり忘れているのだから、相変わらずお目出たい。
中町信さんの文庫新刊『空白の殺意』*3創元推理文庫)の帯にディクスン・カーの『皇帝のかぎ煙草入れ』に挑戦した心理的な騙しのトリック」とあるのを見て、上の乱歩の文章を思い出し、読んでみる気になった。同文庫に改稿のうえ収められた中町さんの旧作群については、『模倣の殺意』を読んでおり、これにもうならされたものだった(といってもまたしてもトリックを忘れているのは情けない。→2005/5/21条)。
この『空白の殺意』はもともと『高校野球殺人事件』という名前で刊行された作品の改稿新版で、旧タイトルにあるとおり、高校野球全国大会出場にからむ有力校関係者同士の確執がテーマになっている(舞台は群馬県)。
著者は今回の新版あとがきで、自作中気に入っているものの筆頭とし、執筆意図を次のように書いている。
大仰ではなく、小粒ながら、心理的なだましのトリックをメインに据え、読者を最後の一ページまで引っぱって行く、この「皇帝のかぎ煙草入れ」のような作品を、私はおこがましくも、無性に書いてみたくなったのである。
たしかにトリックは大仕掛けでない。犯人もうすうす感づいていた人物だった。だがその人物が犯人だとわかるその過程で、なるほどという「心理的トリック」が仕掛けられ、振り返ってみると伏線がちゃんと張られていたことに気づき、感心するのである。
論理的ミステリ好きでなく、アリバイ崩しのような緻密な構成をもったミステリは苦手の部類に属するのだけれど、それに近い内容を持った本作に一気に惹かれ、夢中で読み終えてしまったのはなぜだろう。中町信の作品に魅せられる理由がいまだに自分でよくわかっていない。

*1:以下この文章は河出文庫江戸川乱歩コレクション2 クリスティーに脱帽』所収のテキストに拠った。光文社文庫版全集の『続幻影城』にも収録されているはずである。

*2:ISBN:4334735894

*3:ISBN:4488449034