鳶の力、山の力

母の声、川の匂い

いま、またしても横手にいる。ここ数ヶ月、月に一度という頻度でこの地に来ているが、仕事の区切り、時期の区切り(年度の区切り)から言って、横手の町との親密なつきあいは今回で一段落し、次は半年後くらいになるかもしれない。
ただ今回今までと違うのは、直接横手に入ったわけではないこと。いつもは大曲まで秋田新幹線に乗り、そこから奥羽本線に乗り換えて横手(上り電車に乗って大曲から三つ目)に入る。今回は秋田市に用事があったので、最初に秋田新幹線の終点である秋田まで行き、そこから横手に入った。こまちは大曲でスイッチバックのごとく進行方向が逆になる。つまり後ろ向きに走るのである。
先日水戸の町を訪れるのは約15年ぶりだと書いた。秋田も同じで、水戸より一、二年前に訪れて以来だから、たぶん17年ぶりになるだろうか。このときの季節は真夏、男鹿半島も回った。記憶としては、真夏に歩き回って喉がカラカラになり、そこで飲んだコカ・コーラの炭酸のおいしさしか残っていない。
さて海が近い町秋田から、山に囲まれた盆地の中心にある横手*1に移動して感じたのは、第一に安心感だ。平野部にある秋田は、まわりを見回しても空が広がるばかりで山がない。それに対し山に囲まれている内陸の横手に来ると、包まれているような安心感がある。これはわたしが同じように山で囲まれた山形盆地で育ったことと無関係ではないだろう。
大学から仙台で暮らしたけれども、やはり四方すべてが山ではない仙台という町で暮らしたときは、ときどきそのことに気づいてふと不安に襲われたことがあった。山形に帰るとホッと安心するのである。ではいま住んでいる東京はどうなのかと言えば、当然山などに囲まれているはずがない。けれどもいっぽうで平野のように平坦な土地が広がり、空が見渡せるというわけでもない。高層ビルが阻んでいるから。ビルが山の役割を果たして、案外盆地に住んでいるような感覚が与えられ、平野に住んでいるという感覚がなくなっているのかもしれない。
盆地にいると安心感があるという感覚は、これは幼児以前、さらには生まれる前から刷り込まれたものであり、容易に振り払うことのできないものなのだろう。一生自分にまとわりつづけるものとなるのかもしれない。「生まれる前から」などという大げさなことを考えたのも、秋田に向かう車内で、文化人類学川田順造さんの「自分史エッセイ」である『母の声、川の匂い―ある幼時と未生以前をめぐる断想』*2筑摩書房)を読んだ影響かもしれない。
川田さんは深川高橋生まれ。先祖は群馬(上州)沼田(旧川田村)から江戸に出て深川で米問屋「上州屋」を開いた、その末裔にあたるから、まさしく江戸っ子である。しかし川田さんはこうした土地柄に嫌悪と反撥を感じ、文化人類学を志し、パリの大学で学びアフリカをフィールドワークの地と定め、長く生まれた土地をかえりみることがなかったという。長くよその土地に根付いて暮らしたすえ、あらためて生まれた土地に向き合いたいという気持ちに切りかわる、その変化が興味深い。
川田さんは、「歴史というものが、過去にあったことそのものではなく、過去を想起し、言葉で表す人間の営みである」という近年一般的になってきた考え方を前提に、深川という場所にまつわっている「地霊」と自分の歴史、家の歴史を総体的にとらえようとする。

そこに生きる人との相互交渉の場としての地域は、無数の自分史の記憶が群れる、記憶の集合の場としての性格も帯びるだろう。限りなく個別の性格をもった自分史の底まで、未生以前の記憶にまで降りていったとき、思いがけず地域の記憶と、そこに生きた祖先たちの記憶の深層に触れることになる――予期しなかった偶然のようでありながら、それは必然なのかも知れない。(10頁)
かつて自らが暮らした深川のあたりに住み、それぞれ何層にもわたる記憶を重ねているところの人々に対する聞き書をもとに、自らの記憶と「未生以前の記憶」を掘り下げようとする学問的営みはとても刺激的なものだった。
歌舞伎のとくに世話物を見ていて不思議だなあといつも思っていたのは、鳶の頭という存在だった。何か家の中で揉め事が発生すると、家の者が近隣の鳶の頭を呼びに行く。やってきた頭は仲裁に入って丸くおさめる。そんな頭のありかたは、当時の社会慣習のなかで、どんなふうに説明されるのだろう。
本書ではそんな鳶(町火消し)の役割について、事細かに記されており、上のような疑問はすっかり解消してしまった。揉め事を捌く、共同体の外から因縁をつけにやってきた外部の者を追い払う、そんな秩序維持の役割を担う鳶の力は、町内の消火を任されていることに由来するという。
明和年間以後竜吐水が備えられたものの、水による消化力は弱く、鳶口を用いて類焼を防ぐ破壊消防が中心だったから、火事のときの町内鳶の住民に対する威力は大変なものだったろう。そして屈強の若者を何人も抱えていることが、一種の警備力ともなったのだ。(86頁)
なるほど世話物のなかで、町人たちが鳶に寄せる信頼感、鳶を演じる役者が発する「この人に任せておけば安心」というオーラはこのような鳶の社会的地位に由来するのか。
時間的にしろ距離的にしろ、いくら離れたって、生まれ育った町、そこで醸成された「気風」が無意識のうちに自分の内に堆積し、それが何らかの行動規範として存在する。読みながら、自分の感覚に影響を与えている山並みの存在を強く思ったのであった。

*1:何でも「横手盆地」は盆地としては日本一の広さであると地元では喧伝している。

*2:ISBN:448085598X