フジタと井伏とミステリ風味

花の町/軍歌「戦友」

先日の秋田・横手出張に携える本を選んでいたとき(どの本を持っていこうかあれこれ悩むこのときが実は好きだ)、ちくま文庫井伏鱒二文集が積ん読の山のなかから偶然目に入ったので、未読三冊のうちの一冊を選んだ。
選んだ一冊を積ん読の山の一番上に置き直したものの、直前になって考え直し(よくあること)、その山をあらためてひっくり返していたところ、同じ井伏さんの『花の町/軍歌「戦友」』*1講談社文芸文庫)を見つけた。たしかこれはかつて横手のブックオフで見つけた本ではなかったかとパラパラめくっていたら、「シンガポールで見た藤田嗣治」というタイトルが目に入った。先日藤田嗣治の評伝を読んだばかりでもあり(→3/12条)、井伏鱒二藤田嗣治をどのように観察したのかという興味も手伝って、予定変更、この本を持っていくことに決めた。
実は秋田に行くにあたり、楽しみにしていた場所があった。平野政吉美術館である。秋田の資産家である平野は、当初藤田のパトロンとして、藤田の絵を蒐集し、また藤田を秋田に招いて秋田の絵を描いてもらう。そうしてできあがったのが縦3.6メートル、横20メートルという壁画の大作「秋田の行事」だった。
先日読んだ近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』*2講談社文庫)には、平野が蒐めた藤田の絵を「藤田嗣治美術館」という建物を建てて展示するというつもりで、「秋田の行事」も描いてもらったのだが、その後諸事情があって自らの名前を冠した「平野政吉美術館」となったため、藤田が憤慨し、二人の仲がこじれたといったことが書いてあった。
この平野政吉美術館、残念なことにちょうどわたしが訪れた日まで展示替えのため休館で、翌日から「フジタさん、いってらっしゃい。留守は我らが」というサブタイトルがついた「近代の洋画と版画」展が始まるとのことで、観ることが叶わなかった。「いってらっしゃい」というのは、要するに昨日から東京国立近代美術館で始まった藤田嗣治展に同館所蔵作品を出陳したということなのだろう。
「いってらっしゃい」と快く(?)送り出していることから見れば、この両者のわだかまりは解消したと考えていいのだろう。平野政吉美術館はまた近い将来の来館を期し、ともかくもそんなこんなで藤田嗣治が二重に頭にひっかかっていたおりもおりだったのだ。
さて井伏鱒二の本。「花の町」は徴用のためマレー・シンガポールに滞在した体験を材にとった新聞連載小説である。昭和17年に「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に連載されたもので、文庫本で100頁ほどの中篇である。井伏の徴用体験については、去年中公文庫に入った『徴用中のこと』に詳しい(→2005/9/21条)。この「花の町」や本文庫収録の諸編に、このときの体験が取り入れられている。
「花の町」の作者の言葉のなかに、「私はこの市内(昭南市=シンガポール市、引用者注)におけるある長屋のある一家族の動きを丹念に描写して、疑いなくこの街の平和を信ずる市民のあることを知る一つの資料としたいのである」という抱負が述べられている。ここにあるとおり、「花の町」は、戦時中、徴用作家が日本占領下のシンガポールを舞台に執筆した「戦時小説」のつもりで読むと、まったく「戦時色」がないのに驚かされるのである。
いや、「まったく」というのは言い過ぎか。軍人や軍属と現地の人々との緊張をはらんだ関係が軸になっているわけだから、戦争ということをまったく無視しているのではない。わたしは井伏作品はわずかしか読んだことがないので正しい理解なのかどうかわからないけれど、たぶん、戦争とは無関係の、身辺を材にとった小説とほとんど同じ目線で、シンガポール市民と日本軍人・軍属との交流が切りとられ、描かれているのではあるまいか。そこに漂うのはほんわかとしたユーモアであり、のんびりとした空気である。自らをモデルにしたとおぼしい主人公木山喜代三という名前は、解説の川村湊さんが指摘するように、木山捷平から借りたのだろう。木山文学に親しんでいる者からすれば、この「花の町」には、「木山」という登場人物ばかりでなく、木山捷平的「ゆるさ」(たぶんその源は井伏文学なのだろう)まで共通している。
この本を持っていこうとしたきっかけになった「シンガポールで見た藤田嗣治」は、藤田の早描きの様子や、気さくな人柄、パリで名声を博した世界的画家というイメージに反し、「静かに、またはむせぶが如くに声を操って、憎らしいほどしんみりした情緒を出した」小唄を唄うという画家のポルトレとして申し分のない面白さであったが、上記「花の町」やこのエッセイ以上にびっくりさせられたのが、書名にも採られている「軍歌「戦友」」という短篇であった。
昭和51年(1976)というから、敗戦後30年経って書かれた短篇だが、戦争体験のある同年配の人間が定年を迎え、その挨拶として戦争体験を長々と喋ったという話から書き出され、具体的な内容として、硫黄島に向かう輸送船のなかで昔のロス五輪馬術で優勝したバロン西と会話を交わしたエピソードへとつながる。たんなる戦時体験談なのかと思いきや、「ここは御国を何百里」というよく知られたフレーズの軍歌「戦友」がいわば「小道具」の役割を果たして、ストーリーは意外な展開を見せる。
上質なミステリを読んだときのような意外性とカタルシスで、軍歌も、戦争体験談も道具立てとして絶妙な伏線となる。最後のオチは田園喜劇を見ているようなとぼけた味わいがあって、まことに絶品。井伏さんにこんな面白い小説があるなんて、初めて知った。「文豪ミステリ」を編むならば、そのなかに加えたい逸品である。
読もうとした目的とはまったく違う、予期せぬところで読書の喜びを味わう体験は、「期待通りの面白さだった」という本を読んだ体験ともまた違って、別種の幸福感がある。