藤森的縄文建築宣言

人類と建築の歴史

藤森照信さんの新著『人類と建築の歴史』*1ちくまプリマー新書)を読んでうなった。最近発刊された新シリーズ「プリマー新書」は、その名前からして若者向け・初心者向けだと思われるのだが、シリーズ中の一冊であることを裏切らない見事な歴史書になっている反面で、それを逆手にとったきわめて戦略的な学問的宣言の書であると読んだからだ。
以前ちくま新書から出た『天下無双の建築学入門』*2もすごい本だった(旧読前読後2001/10/2条)。建物のパーツ別に、建築のなかでの役割や作り方を論じて日本文化の特質に迫る名著であり、こちらを各論とすれば、今度の本は総論的な内容である。
「人類と建築の歴史」という書名からすでに壮大だが、叙述がいきなり旧石器時代の人間の生活から始まり、もっぱら石器の使い方に終始しているあたり、さすがにスケールが違う。
本書はたんなる「建築史」を超えた、一般的な「世界史」の本として通用する。紀元前の旧石器時代新石器時代、日本で言えば縄文時代弥生時代などの歴史叙述として、これほど簡にして要を得た本に出会ったのは初めてだ。小学校・中学校の「社会」の授業はすべからく本書を教科書にすべきなのではないか、それほど素晴らしい。
本を開くといきなり、旧石器時代人の食生活について、こんなくだりに出くわす。

虫も、ハチの幼虫やセミやバッタはおいしいから好んで食べられたが、チョウチョはむせないように羽を除く注意が欠かせないし、トンボはまずいのでやめたほうがいい(9-10頁)。
まるで見てきたような話だが、これは藤森さんの実体験だから文句がつけられない。『タンポポの綿毛』*3朝日新聞社)は、自らの田舎での少年時代の暮らしについて語った面白い自伝的エッセイで、そのなかにこんな「トンボ食い体験談」がある。
トンボは食べるところはないように見えるが、羽の付け根にはちゃんと筋肉があり、引き抜いて何度か食べた。見た目はいかにも肉っていう感じだが、ニオイがきついから、好きにはなれない。(100頁)
ことほどさように藤森さんは「原始人」の血を色濃く受け継いでいる。日本列島の歴史に即せば、縄文時代人の血だ。このあたりについては、自宅である「タンポポ・ハウス」建築の記『タンポポ・ハウスのできるまで』*4朝日文庫)や、赤瀬川原平さんが自宅「ニラ・ハウス」を藤森さんに設計してもらい、作り上げるまでを綴った『我輩は施主である』*5(中公文庫)に詳しい。
とりわけ前者のなかで、初めての設計作品「神長官守矢資料館」の設計依頼がくる数年前、家族を連れ長野に帰省したおり、山に入って縄文時代の竪穴式住居をこしらえ、キャンプをした体験が記されている。実際に縄文住居を営んだ人だから、その縄文建築論は説得力がある。赤瀬川さんの「ニラ・ハウス」のときは、設計者・施主含め、友人の南伸坊さんら手伝いをする人びとが「縄文建築団」と呼ばれていたはずだ。
藤森さんは『人類と建築の歴史』の結論部分で、「人類と建築の歴史」を「細長いアメ玉を紙で包んで両端をねじったような形」(165頁)にたとえている。
人類が建築を作った最初は、世界共通で、円形の家に柱を立てて神に祈るスタイルだった。地母信仰と太陽信仰が建築に象徴されていた。これが両端のうちの一方で、そこから、四大文明が栄え世界がいくつかに別れ、さらに四大宗教(キリスト教イスラム教・仏教・儒教)により、各地で多様な建築文化が花開く。これがアメ玉のもっともふくらんでいる部分にあたる。
しかしながら大航海時代以降世界の多様性は減退し、産業革命の時代を経、二十世紀のモダニズム、ドイツのバウハウスに代表されるガラスと鉄骨とコンクリートを使った機能主義建築の出現により、ヨーロッパの歴史的建築様式は切り捨てられ、世界共通となる。これがアメ玉の残った一方のねじり部分である。
藤森さんは大胆にも、このモダニズムの出現を「歴史の終わり」だと断ずる。歴史が終わったあとには何が残るのか。
歴史の終りと、建築の消失点を目ざしてのこの漸近線的状態を二十一世紀の大勢と認めながら、しかし、それがなんとも面白くないと考えている少数者がいる。歴史を偽造してでも根本的な新しい形を見てみたい、なんなら歴史の後もどりだってしよう。物としての手ざわり感を建築から失いたくない。多様な形の面白さを味わいたい。(168頁)
もはや藤森さんがここで言う「少数者」に属していることは明らかで、「人類と建築の歴史」としてのアメ玉の包み紙がねじられ、閉じられた今、立ち戻るべきはもう一方のねじり部分であると宣言しているのである。そしてこの主張は、すでに多くの建築作品で実践され、高い評価を受けているのは周知のとおり。
先日週刊誌の宣伝広告のなかに、藤森さんが養老孟司さんの家を作ったという見出しを見つけたが、その家も縄文スタイルなのだろうか*6。藤森さんの今後の活動にますます注目である。