8月に読んだ本

鉄火場の競馬作法

ここ一、二週間で読んだ本。
新海均カッパ・ブックスの時代』*1(河出ブックス)。光文社を代表するシリーズだったカッパ・ブックス神吉晴夫の手によっていかに生み出されてきたのか、どんなふうにベストセラーが企画されたのか、ワクワクさせられるようなサクセス・ストーリーである反面、カリスマ的な経営者のもとでの労働争議なども描くなかなか硬派な部分もある。一時期光文社に勤めていた種村季弘さんも登場。組合の総会で活躍した姿も。
カッパ・ブックス(ノベルズ含め)はほとんど買ったことがない。澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』、渡辺一夫『うらなり抄』、伴淳三郎『伴淳好色放浪記』を古本で買った程度。新刊で購入した記憶のある数冊の新刊のうち、藤代三郎(目黒考二)『鉄火場の競馬作法』*2は、カッパ・ブックスというシリーズだけにとどまらず、いまなお忘れられない快著である。
中川右介『歌舞伎 家と血と藝』*3講談社現代新書)。
歌舞伎は、観ることを積み重ねてゆくうちに、筋立てや、代々の役者によって工夫されてきた型、おなじ演目でも役者による違い、舞踊の身体感覚など、歌舞伎という演劇の本質的な愉しみを味わえるようになってきたが、もともと歌舞伎に対する関心のうち多くの部分を占めていたのが、代々受け継がれてきた名跡をめぐるドラマ、あるいは名跡をめぐる政治であることを再認識させられた。こういうドラマがあるからこそ、歌舞伎は面白いのだ。
歌舞伎の存続や名跡の継承、一門の浮沈に「政治」がいかに重要かが述べられている。歌舞伎は「芸術」なのだから、いくら「政治」に長けていても、役者としての技量を究められなければ歌舞伎役者としては一流ではないというのは綺麗事に過ぎないのだなあ。
藤森照信山口晃『日本建築集中講義』*4淡交社)。
建築史家藤森さんと日本画家山口さんが日本各地のさまざまな建築物を訪れた探訪記。ふたりの対談のかたちをとる。藤森さんが説く日本建築論にはいつもながら学ぶところが多い。本書では、それに加えて山口さん描くところの藤森さんの行動がとても面白い。大先生を目一杯戯画化しているのだけれども、そこには愛と敬意が込められている。そんな山口さん描くところの藤森照信像が大好きである。
山形に帰省しているあいだ、岩波文庫芭蕉 おくのほそ道』*5を読み終えた。また久しぶりに立石寺も訪れた。「おくのほそ道」自体、山形人としては子供の頃からなじみがあるし、古典の授業でも再三読んでいる。「岩に巌を重て山とし、松柏年旧…」といった一節は暗記しているほど。
今回通読して、いいなあと思ったのは、象潟から北陸にかけての部分。象潟についての「俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」という描写にうなり、また、『獄門島』にも登場する「一家に遊女もねたり萩と月」が詠まれたおりの、同宿した新潟の遊女とのやりとりに胸が熱くなった。
岩波文庫版には、随行した曾良の旅日記のほか、「おくのほそ道」の旅で詠まれた句や巻かれた連句曾良が書きとめた「俳諧書留」が収められている。山形にて詠まれた「五月雨を集めて涼し最上川」は一首の俳句として知っていたが、これが発句となって巻かれた歌仙には初めて触れる。「岸にほたるをつなぐ舟杭」という脇、「瓜畠いざよふ空に影待て」という第三へと続く歌仙が、これまたすこぶるいいのである。
俳句そのものから大きく踏みだし、歌仙(連句)へと関心が広がっている。自分も変わったなあと思う。それでいま、おなじ岩波文庫芭蕉連句集』*6を少しずつ読み進めている。