風邪っぴきによくない本

模倣の殺意

インフルエンザに罹り寝込んだのが遠い昔のようだが、あれは2月のことであり、せいぜい3ヶ月前のことなのだ。あれから、月に一度かならず風邪をひくようになった。突然喉や胃が痛くなり、熱が高くなる。
いずれも、一日、一晩寝ていれば次の日には熱も下がり、すっかり回復する程度の軽い症状なのだが、まだ前の風邪の記憶も新しいときに体調を崩すものだから、あまり気分がいいものではない。
今回も急に胃が痛くなり、いつものストレス性の胃痛かと胃薬を服んでも治まらない。そのうち鼻の奥が痛くなって、夜にはだるくなり、関節が痛み出した。熱が出てくるときの症状である。
仕方ないので一日寝ていることにしたが、幸い熱は37度台にとどまり、うなされるほどではない。頭はしっかりしているので、時間をもてあまし気味になる。こういうときはミステリを読むのが一番いい。
ということで選んだのが、中町信さんの『模倣の殺意』*1創元推理文庫)だ。超絶のトリックが仕掛けられた大傑作と名高く、南陀楼綾繁さんも高い評価を与えられていたので、気になった本だった。
もとより中町信といえば、徳間文庫の黄色い背という記憶がないではない。本書巻末の著作リストを見ると、『田沢湖殺人事件』とか、『十和田湖殺人事件』といった作品が目に入る。西村京太郎や内田康夫系の旅情ミステリだろうと、そうした系統が好みではない私は、はなから歯牙にかけなかった。
それが創元推理文庫に入り、カバー裏に鮎川哲也さんの読後感想が刷られていると買いたくなるのだから、現金なものだ。ちなみに鮎川さんは、「その驚きは圧巻だ。近頃、これほど意外性に工夫をこらした作品は珍しい」と書いている。
ここで詳しい筋は紹介できない。ミステリの新人賞を獲ったばかりの新進作家や、それを載せた雑誌の編集者、著名な大衆小説作家の娘で、医学系出版社の編集をしている女性がからみ、あるミステリの盗作をめぐる事件が鍵になるということだけ書けば、あるいは興味を持つ方もいるかもしれない。
読んでいる途中、たしかに「あれ?」と怪訝に思う部分もないではなかったのだが、それがああした結末につながるとは、思ってもみなかった。「うーんなるほど!これはやられた!」という第一印象である。こういう作品を読むと、まだまだミステリという小説ジャンルは無限の可能性をもっているのだという喜びがこみあげてくる。
内容を離れて、この作品が面白いのは、本文庫版に至る過程だ。解説の濱中利信氏が入念なテキストクリティックをして本作品の成立過程を明らかにしている。
それによれば本書は中町さんのデビュー作で、もとは1971年の第17回江戸川乱歩賞に「そして死が訪れる」というタイトルで応募され、最終候補までいったが受賞には至らなかった。しかし「その独特の構成から高い評価を得」(314頁)、翌72年、雑誌『推理』に短期連載された。このときのタイトルが本文庫版と同じ「模倣の殺意」だった。ところが翌73年双葉社から単行本として刊行されたさいふたたび改題され、『新人賞殺人事件』とされたという。
この作品は一部のミステリマニアの間で評判になったものの、単行本はすぐ品切、入手困難となって「幻の名作」として垂涎の的となる。それがようやく陽の目を見たのが、徳間文庫に『新人文学賞殺人事件』として鮎川さんの解説を付して刊行された1987年だったという。
乱歩賞の応募時から三度タイトルを変えて活字になった本書が、あらためて今回、改稿のうえ二度目のタイトル「模倣の殺意」に戻して文庫に入った。今回の改稿は、本作品のトリックの効果を最大限に活かし、「真相解明時に読者に与える驚愕度の大きさを増大させる」ものとなっている。たしかに濱中氏が指摘された改稿部分に自分もしてやられたという感がある。
風邪を引いて寝込むような体であるにもかかわらず、分量が半ばを越えたあたりから寝ながらのんびり読む本ではないと思うほど頭が興奮してき、とうとう起きあがって最後まで読んでしまった。相変わらず風邪は抜けきっていない。