イラストと散文詩で煮染め感

昭和夢草紙

根津や谷中、本郷の路地裏を歩いていると、ささら(簓)子下見の木造家屋がよく目につく。東京に来てから意識しだしたのだが、きわめてありふれた民家の建て方である。
ときどきささら子下見の外壁が張り替えられ、まっさらな白木になっている家を目にすることがある。どの家だって、建てたばかりのときはこんな真新しいなりをしていたに違いない。
でも、ささら子下見の家は、煮染めたように茶色くなり、いかにも年季が入っている佇まいのものこそ、それらしいという気がする。雨があがった直後、そうした家の脇を通ると、年月を経た下見板から、プンと湿気の匂いが鼻に飛び込んでくる。東京の路地裏を歩いているという気分にひたる一瞬である。
こんなささら子下見の、なんてことはない木造家屋を描かせて右に出る者がないのが、滝田ゆうさんだろう。モノクロの線描を主体とするイラストなのに、古びたささら子下見の「煮染め感」に満ち、匂いまでただよってきそうなリアルさ。
滝田さんの画文集『昭和夢草紙』*1新潮文庫)を読んで、東京の場末の庶民生活を、充満する「煮染め感」とともに楽しんだ。滝田さんが向島玉の井の育ちであることは有名だが、この本では、そうした固有名詞はあまり表に出てこない。でもイラストからは、「ぬけられます」の看板のある町並みや、川の土手の風景、色街特有のタイル張りの店などなど、玉の井であることが容易に想像できる。
固有名詞があまり出てこず、向島あたりの場末の、戦前から戦中を経て戦後に至る庶民、とりわけ子どもたちの暮らしぶり、そして色街の女との付き合い、酒、そんなシーンが抽象化され、ときには七五調でテンポのいい語り口で綿々と語り出される。まるで散文詩のような美しさの文章に陶然となり、郷愁ともつかない妙な懐かしさにとらわれる。何とも素晴らしい本だった。
実は本書も夕刊フジ連載エッセイなのである。現在夕刊フジ連載エッセイの一覧をまとめる作業を行なっている。その過程でこの連載を発見し、「ええっ、この本も!」と驚いたのだった。思い出してみると、たしかにこの本には目次にタイトルがずらりと並んでいたような気がする。
数年前『BOOKISH』の発行元ビレッジプレスを訪れたさい、同じビルにある天牛書店江坂店に立ち寄り、本書を150円で手に入れた。そのときも収穫本だと思っていたが、その後同じ本にお目にかかったことがなく、こうして夕刊フジ本だということを知ったいま、あのとき買っておいて本当に良かったと思っている。
他の夕刊フジ連載本とくらべて本書がすごいのは、文章・イラストとも滝田さんによるものであることだ。連載は101回にわたっている(1978年10月から79年2月)。文章を連載するのでも大変だと言われ、いっぽうで多くの挿絵を担当した山藤章二さんの苦労譚もあるなか、前述のように質の高い文章に、毎回あの特徴的な線画で場末の町並みを細かく描き出したイラストが添えられているのだから、これはただ事ではない。
ひょっとしたら本書は、文章とイラストのバランス、質の高さという意味で、夕刊フジ連載本中でもトップクラスに位置するものと言うことができるかもしれない。