出張前に読むべきでない本

夜明けの睡魔

そもそも村上春樹海辺のカフカ』(新潮文庫)を読んだことから始まったのだから、意図したわけではない。自分は謎をもつ小説が大好きなのだということにあらためて気づかされ、再確認する意味で、北村薫さんの『謎物語―あるいは物語の謎』*1(中公文庫)を読んだ。
一読ますます謎をもつ小説への関心をかき立てられたけれど、そこに行く前に、同書のなかで北村さんが何度も言及されていた瀬戸川猛資さんの本、とりわけ『夜明けの睡魔―海外ミステリの新しい波』*2(創元ライブラリ)を挟もうと思い立った。
同じ創元ライブラリに入っている別著『夢想の研究』*3(→旧読前読後2002/2/22条参照)は既読なのだが、こちらのほうは内容が海外ミステリ評論に局限されているため、ミステリ好きでも翻訳物をほとんど読まない私にとって、読むに至るまでの障壁が高く感じられ、躊躇していたのだ。北村さんのおかげで、いともあっさりと障壁を乗り越えることができた。
本書は大雑把に言えば二部構成をとる。現代海外ミステリ評の「夜明けの睡魔」と、海外ミステリの古典を俎上に上せた「昨日の睡魔」である。私は現在でこそ翻訳物から離れているが、中学生の頃はクリスティやクイーンといった海外ミステリの古典的名作を愛読していた。だから、たとえば『Yの悲劇』や『アクロイド殺し』『僧正殺人事件』が取り上げられている「昨日の睡魔」を読み、懐かしさをおぼえた。
「昨日の睡魔」は、「古典的名作」という評価ががちがちに定まっているこれらの作品群を、客観的に、虚心に読んでみるという試み。その姿勢から、『Yの悲劇』には傑作かなあと首をかしげ、『アクロイド殺し』をあらためてアンフェアだと断罪し、『赤毛のレドメイン家』は「クライム・ストーリイ」として「絶対に一読の価値のある名作」として、高く評価する。
虚心に読み、従来の定評と瀬戸川さんの感想にズレが生じた場合、その理由を遡ってゆくと、かならずたどりつくのが江戸川乱歩であるというのも興味深い。

古典ミステリの戦前の日本での評価を跡づけようとすると、必ずといっていいほど江戸川乱歩という名前に突きあたる。どこを突いても、どこを切っても乱歩が出てくるのだから、驚くほかない(なんだか金太郎飴みたいだが)。戦前の翻訳ミステリ界は乱歩ひとりの手によって形づくられてきた、とすらいえるほどである。その威光は大変なもので、乱歩が絶賛した作品は大したものでなくてもその後に名作の位置をしめ、乱歩があまり賞めなかった作品は、たとえ海外での評価が高くても、どことなく影が薄くなる、という傾向がある。(239-40頁)
本書はその意味で、日本における翻訳ミステリの受容史に新しい一ページを加えたものと評価できる。
本書後半の「昨日の睡魔」は、わがミステリ読書史をふりかえったり、ミステリ受容・評論史の問題を考えて楽しんだが、前半の「夜明けの睡魔」を読んで、ただ単純に紹介されている本が無性に読みたくなって困った。以前北村さんの『ミステリ十二か月』*4中央公論新社)を読んだとき、「出張で読むべきでない本」であると書いた(→2004/10/28条)。読みたい本が次々と増えてきて、出張先のようにまわりに本がないという環境にいると苛立ってしまうからだ。
これと同じ意味で、『夜明けの睡魔』は「出張前に読むべきでない本」であると言いたい。実はまた週明けから出張に出かける予定になっていて、この本を読んだため、携える本をどうしようか、何日も前から迷いつづけているからだ。
北村本・瀬戸川本がいずれも口を極めて大絶賛するJ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』*5創元推理文庫)を買ってしまった。たまたま「SF・ファンタジーフェア」の帯が付いて店頭に並んでいるのを目にしてしまったからで、いまのところ一冊はこれにしようと思っている。同じように平積みされていた本として、クロフツの『樽』もあったし(「昨日の睡魔」のなかで好意的な評価を受けている)、瀬戸川=大絶賛/北村=納得できず、と真っ向から評価が対立するW・L・デアンドリアの『ホッグ連続殺人』(ハヤカワ文庫)も並んでおり、食指が動きかけた。
『星を継ぐもの』を買わなければ、北村さんによる本格ミステリのアンソロジー『謎のギャラリー 謎の部屋』*6新潮文庫)か、『北村薫本格ミステリ・ライブラリー』*7を持っていき、本格物に対する渇を癒そうかと考えていた。この二冊、また結局読む機会を逸してしまったことになる。
それだけでなく、書棚の奥に眠っている『Yの悲劇』をはじめとする「古典的名作」を、瀬戸川さんにならって再読するのもいいかななどと考えも頭をかすめた。だから、持っていく本は、出かける直前までまだまだ、二転三転する可能性がある。困ったものだ。