気まぐれ度の大きさ

人魚を見た人

「画廊経営者による美術随想」という言葉だけ掲げ、この言葉を目にした人が抱くイメージの最大公約数があるとする。実際「画廊経営者による美術随想」と巷間認められている本がある。洲之内徹さんの『気まぐれ美術館』シリーズだ。しかしながら、冊を重ねるにしたがい、このシリーズは上の最大公約数的イメージから乖離していっているのではあるまいか。
先日、といっても二月下旬のことだから二週間も前のことになってしまうが、人間国宝揃いぶみの豪華な舞台で話題になった「野崎村」を幕見で観てきた。ふじたさん(id:foujita)が繰り返しご覧になって絶賛する舞台とあって、私もせめて一度は目にしたいという気持ちがわき上がっていたのである。そのさいの気持ちは、たとえばこんな文章が代弁してくれる。

この頃、私が同じ展覧会を二回も三回も見るのは、何も急に私が勉強家になったわけではない。一枚でもいい絵にぶつかると、生きているうちに二度とこの絵を見ることはないだろうと思う、その気持ちが私をせき立てるのだ。若い頃にはなかったことである。
最後の一文はおいて、シチュエーションとしては私よりふじたさん向けか。それはともかく、予想をしていなかったわけではないけれど、当のふじたさんも幕見の行列にいらしたという偶然には驚いた。お声をかけ、一緒に見ることになった。
このとき私は、歌舞伎座に来る前に銀座教文館に立ち寄り手に入れたばかりの堀江敏幸『河岸忘日抄』を、嬉々としてふじたさんにお見せしたりしたが、いっぽうで、ふじたさんから、「洲之内さんの新刊が出たの知ってますか?」と問われ、不意をつかれた恰好で驚いてしまった。どうやら以前出た『芸術随想 おいてけぼり』*1世界文化社、→2004/7/13条)の続篇らしい。
洲之内さんにはまだ単行本になるほどの未収録の文章があるのだという驚きもさることながら、ちょうどそのとき、『気まぐれ美術館』シリーズの第4作『人魚を見た人』*2(新潮社)を読んでいたこともあり、またの偶然に息を呑んだのである。『人魚を見た人』を読もうとしたのは、最近ネット上で交誼を結んだ晩鮭亭さんの日記「晩鮭亭日常」(id:vanjacketei)でたびたび触れられ影響を受けたものなのか、内的契機によるものなのか、忘れてしまった。たぶんその両方なのだろう。読み始めから二週間以上経ってようやく読み終えたのだから、きっかけを忘れてしまうのも致し方ない。
ところで自慢話めく余談で恐縮だが、この『人魚を見た人』を私は新刊で手に入れた。洲之内コレクションが収蔵されている宮城県美術館ミュージアムショップに売れ残っていたものである。「洲之内コレクションを見るため」という明確な目的を持って宮城県美術館におもむいた最初が、昨年3月のこと(→2004/3/7条)。そのとき見つけたけれど、買わなかった。東京に戻ってから、本書が品切であることを知り、次に訪れた機会に入手できたのである(→2004/5/1条)。他のシリーズ4冊の元版はいずれも古書店で入手しているが、『人魚を見た人』の定価2700円が買値としては最も高い。職場近くの古本屋で『洲之内徹小説全集』2冊を得たその2冊分の買値ですらまだ安い(→2004/11/16条)。
話を最初に戻す。今回『人魚を見た人』を読み、「画廊経営者による美術随想」という言葉が想起させる最大公約数的イメージからますます乖離しているなあという第一印象を受けたのだった。最大公約数的イメージとの乖離を、書名を借りて“気まぐれ度”という言葉で表現するなら、さすが「気まぐれ美術館」だけに、回をおうごとにますます“気まぐれ度”が大きくなっているような気がする。
これは悪口ではない。私は“気まぐれ度”が大きいほど、寄り道の度合いがはなはだしいほど、ますます喜んで享受するものである。読み終えるのに時間はかかったけれど、その“気まぐれ度”の大きさを堪能した。
『気まぐれ美術館』シリーズの何がいいかといえば、絵に描かれた場所を捜し歩いたり、絵に描かれたモノやコトの背景をとことんまで追究するという、フィジカルでかつ洲之内さんのたゆまぬ学究心のありどころが自分の好みに合うという点。『気まぐれ美術館』の「松本竣介の風景」「深川東大工町」、『セザンヌの塗り残し』の「おいらん丸追跡」の一連の文章、そしてこれは通読する以前に拾い読みしている『さらば気まぐれ美術館』の「一之江・申孝園」などが、そんな洲之内さんの気質にもとづいて成った文章だ。
今度の『人魚を見た人』でこの手の文章を探せば、「東海道四谷怪談」の舞台となった江東の地を歩いた探索行「八月の街のまぼろし」に指を屈する。「美術随想」という枠組みをはるかに超越した地点にあるこの一種の紀行文を読みながら、思わず頬がゆるむ。
最近北村薫瀬戸川猛資というラインの本を読んでいるせいか、頭が少し「謎解きモード」「本格モード」に傾きかかっている。そんな気分から言えば、村山槐多の、同じ構図でありながら図柄が微妙に異なる二枚の絵が存在するという謎を解いた「電話の混線について」は傑作と断言できる。言い方が大げさだが、みずからの“気まぐれ度”の大きさを逆手にとった叙述トリックも全体に仕掛けられており、オチが見事に決まっている。
佐藤春夫の短篇「美しい町」を皮切りに、中洲を描いた山本松谷・井上安治・司馬江漢の版画に触れて「美しい町」のテキストの謎に説き及ぶ「おそろしい散歩」も、謎解き気分を満足させてくれるだけでなく、散歩魂も刺激される。
こんな“気まぐれ度”満点の文章のなかに、絵にまつわる鋭い指摘がさりげなくはさまっているのだから、たまらない。帯にも採用されている次の文章はどうだろう。
ゴッホで私の感じる優しさを、私はどう書けばよいか分らない。だが、何も無理して書くこともないだろう。批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。誰も彼も、猫も杓子もいっぱしの批評家気取りで、何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。(「男が階段を下るとき」)
この洲之内さんの洞察は、絵を超えて人間そのものにも迫る。「風の便り」という、両腕を失った画家水村喜一郎を取り上げた文章をしめくくる「人には履歴書以外に別の履歴がある」という一文にはしびれた(ついでにこの水村喜一郎の絵は本書のなかでもとりわけ印象に残った)。
また、原風景というものを「生まれるときから眺めてきたその時々の風景の、長年に亙る記憶の堆積のようなもの、そのようにして私たちの心の中に形成されたひとつの内面の風景、一種抽象的といってもよく、あるいは風景自体といってもいい風景」と定義したうえで、次のようにつづける。
そして、どこへ行ってどんな風景を前にしても、人はその背後に自分のその原風景を見ているのだ。探がしているといってもいい。そのようにして、人間の心は常に原風景へ回帰する。それが郷愁というものではないだろうか。風景の意味を更に広げて考えるなら、芸術とはすなわち郷愁なのかもしれない(「蓮根とルーベンス」)
こういう名文はただただ黙って享受すれば、それでいい。ちなみに、ここで一番最初に引用した「この頃…」という文章も、もちろん本書からの引用(「耳の鳴る音」)である。