追憶のタネラムネラな日々【1990年編】

晴浴雨浴日記

種村季弘さんの訃報を2日に知った。8月29日に亡くなられたとのこと。知ったときには頭が真っ白になった。種村さんは澁澤龍彦と並んで、いまの私の読書の関心を決定的に方向づけた著述家の一人である。この人の本を読んでいなければ、いまの私はない。
メインホームページの「シブサワーナ日々」では、澁澤龍彦に熱中していた日々の日記を抜き書きしている。1990年のことであった。そこでは澁澤関係以外の記述は省いてあるが、種村さんの著作に惹かれていったのも同時期なのである。いつ頃から種村作品を読みはじめ、どのようにのめりこみ、種村作品にどんな感想を持っていたか、この機会に過去の日記をふりかえってみた。いかに熱中し、いかに影響を受けていたのか、これからもわかろうというものだ。
よくぞ自分の日記を臆面もなくさらすと呆れられるかもしれないが、このくらい昔のことになると、もはや他人の日記のようで客観的に眺められて楽しい。初心者がだんだんのめり込んでいっぱしのファンになっていく一事例として受け取っていただきたい(註はすべていまの私による補足)。
それにつけても、当時の狂奔のさまが微笑ましくも懐かしい。

1990年2月28日
金港堂*1にてちくま文庫種村季弘『書物漫遊記』を購う。*2
1990年5月9日
バイト先*3では河出文庫種村季弘『ぺてん師列伝』を購う。これからは、澁澤と種村の文庫は、バイト先で見つけ次第買うことに決めたからである。
1990年5月25日
今日から待望の文庫フェアーが始まった。買った書目は以下の通り。(…)『日本怪談集』(上・下)(種村季弘編)(…)
1990年9月7日
『新版遊びの百科全書』2所収の種村季弘のエッセイ「視覚のトリック」を読む。昨日の澁澤龍彦のものと比べ、遊びが少なく、内容も難しくて読みにくい。記述自体は明晰で、分かることは分かるのだが、一つの文を数回位繰り返さないとよく呑み込めない。
1990年9月15日
書籍部にて『三島由紀夫の世界』(村松剛著、新潮社)を購う。これは同社の三島没後二十周年企画で、同時に発売されるはずの『三島由紀夫戯曲全集』も購うはずであった。しかしそれだけが書籍部には並んでいず、全く落胆する。そこで、街の書店にもこれだけはないのだろうかと、学校からの帰途、四時頃、丸善に立ち寄る。何と丸善では並んでいた。どうして書籍部にないのか不思議でならない。とにかく、月曜まで待って、それでもないようなら文句をつけよう。ただ、その代わり、丸善では種村季弘の『悪魔礼拝』(河出文庫)を見つけたので、溜飲は下げた。
1990年9月23日
古本屋を廻っているうちに、駅で古本市をやっていることを知り、次にそこへ向かう。ここでは予想外の大収穫であった。まず、購った本を下に記す。(1)三島『絹と明察』(新潮文庫)、(2)澁澤龍彦『エロス的人間』(中公文庫)、(3)種村季弘『山師カリオストロの大冒険』(中公文庫)、(4)由良君美『言語文化のフロンティア』(講談社学術文庫)、(5)種村季弘『ある迷宮物語』(筑摩書房)、(6)リラダン・齋藤磯雄訳『残酷物語』(筑摩叢書)、(7)『カイエ』1978年11月号(ボルヘス特集、冬樹社)、以上7冊計3100円なり。
1990年9月28日
午後ふと思い出したように市民図書館に行き、『新編ビブリオテカ澁澤龍彦』の『魔法のランプ』、種村季弘『好物漫遊記』を借りる。(…)後者は、巻末に種村季弘氏の著書・翻訳書目録が載っていたので、思わず借りてしまう。学校に帰ってから、その部分をコピーする。全部で五十四冊あるうち、十一冊架蔵している。約五分の一であるが、これら全て未読のものばかりである。読みたいのは山々なのだが、今はそれより澁澤龍彦の方により惹きつけられるものがあり、目が向かないといったところである。私にもう一つの頭があれば。
又、青土社から出ている種村季弘氏の『怪物のユートピア』『薔薇十字の魔法』を注文する。今日、好運なことに同社の書籍目録を手に入れることができ、上の二冊が『種村季弘のラビリントス』という氏の著作集のなかで未だ在庫していることを知り、品切れにならないうちにと思い、善を急いだ訳である。こうなったら、闇雲に本を買い、闇雲に本を読むしかない。
1990年10月3日
種村季弘アナクロニズム』読了。面白いエッセイとそうでないものの差があったように思う。といっても私の主観で、換言すれば、私が好きなものとそうでないものと言ったほうがいいかも知れない。種村季弘氏の著書を読了したのは何とこれが初めてなので、未だ種村季弘氏の本領というものを掴み切っていない。これを読んだかぎりでは、澁澤龍彦氏の方が私の肌に合うと言っておこう。後にこれは変わる可能性は十分ある。*4
1990年10月4日
突然、『種村季弘のラビリントス』を買いたくなり、東京の古本屋に電話をかけて在庫を確かめたが、残念ながらなかった。これは時々起こる発作のようなものであるが、取り合えずなくて良かったのかも知れない。無駄な金を使わず。しかし入手したいという欲望は消えてはいない。
1990年10月8日
書籍部より『種村季弘のラビリントス1 怪物のユートピア』を購う。
1990年10月10日
十時頃、昨日Sさんから聞いた古本市の会場、エンドー駅前店*5に行く。結構豊富に本はあった。『謎のカスパール・ハウザー』(種村季弘河出書房新社)、『中国人の思考様式』(中野美代子講談社現代新書)、(…)の四冊を購う。
1990年10月15日
八時起床。バイトをする。今日はずっと文庫入れをする。(…)そして、種村季弘『山師カリオストロの大冒険』の単行本(初版帯)を三百円で購う。
学校にて、札幌のある古本屋に電話をし、「種村季弘のラビリントス」のうち『怪物の解剖学』『壺中天奇聞』、そして同氏の『影法師の誘惑』を取ってもらう。先方からの求めで、まず自分の住所を書いた葉書を送ってから、然るのち送金となる。学校は五時過ぎに出たが、帰途、ぼうぶら屋書店*6に立ち寄り、前出の「ラビリントス」が入ったら連絡してくれるように頼んだ。東京に行って探すのをやめ、気長に待つことにした。
1990年10月19日
書籍部にて種村季弘『迷信博覧会』(平凡社)を購う。
1990年10月22日
種村季弘『迷信博覧会』読了。軽いエッセイであるが、至る所で氏の博識に驚嘆させられる。話が主題と関係のないところに飛んでいったかと思うと、最後にはいつのまにかもとに戻っている。この奔放さが澁澤龍彦と違ってまた面白いところでもある。しかし、この軽めのエッセイにおける、澁澤龍彦種村季弘の違いは何か。どちらも博識にものをいわせ、古今東西の書物から面白いエピソードを紹介してくれる。しかしどこかが違うのである。言葉では表現しにくい。もう少し読み比べていくと、わかるかも知れない。この疑問は保留しておこう。
1990年10月24日
先日種村季弘の本を注文した札幌の古本屋「宝島」から、本が届いていた。即ち、「種村季弘のラビリントス」6『怪物の解剖学』、9『壺中天奇聞』、及び『影法師の誘惑』(冥草舎版、つまり初版)の三冊である。
1990年11月1日
今日から十一月ということで、大量の本を購う。(…)種村季弘『薔薇十字の魔法』(青土社)、同『小説万華鏡』(日本文芸社)。
1990年11月2日
書籍部にてユリイカ1988年臨時増刊号「総特集澁澤龍彦」を購う。この中の出口裕弘氏と種村季弘氏の対談が一番の目当てであった。帰宅して一読、両氏の視点の鋭さに目を啓かれた点多し。
1990年11月12日
帰途、八重州*7に行き、(…)種村季弘『夢の舌』(北宋社)を購う。
1990年11月17日
昼食後、待ちに待った文庫フェアー*8に突入。しかし、買おうと思っていた岩波文庫の『撰集抄』や鏡花の『日本橋』がなく、全くの計算が狂わされた。(…)購いし書目は以下のとおりである。
岩波文庫 幸田露伴『幻談・観画談他三篇』、内田百間『冥途・旅順入城式』、牧野信一『ゼーロン・淡雪他十一篇』。それぞれ川村二郎、種村季弘堀切直人各氏の解説がついていてこれは買い得である。*9
1990年12月1日
一日なので、書籍サークルの棚ににたまっていた本を引き取る。(…)種村季弘パラケルススの世界』(青土社)、松山俊太郎『インドを語る』(白順社*10
1990年12月3日
朝刊の広告欄を見ていたら、『SPY』という月刊誌が詐欺師の特集をしていて、それにピーンときて詳しく読むと、やはり種村季弘氏が「錬金術師と飛行士」と題して一文を寄せていた。このためにこの雑誌を買う気になり、学校に行く途中に駅前に立ち寄り、八重州、アイエ書店*11と廻ったが、まだ店頭に並んでいない。同じく八重州では『彷書月刊』も探したがこれもまだのようだ。朝から時間を無駄にしてしまったと嘆いてももう遅い。むしゃくしゃしたまま学校に行く。
1990年12月4日
帰宅したら一昨日電話で注文した、澁澤龍彦『唐草物語』、種村季弘失楽園測量地図』が札幌の古本屋から届いていた。
1990年12月5日
バイト先にて『口笛の歌が聴こえる』(嵐山光三郎新潮文庫)、『怪しい来客簿』(色川武大、文春文庫)を購う。前者は『BGM』*12創刊号の「澁澤龍彦を読むためのガイド・ブック」として紹介されていたので知った。内容は嵐山氏が青春時代を過ごした六十年代を、世相を縦糸に、種々の人物との交際を緯糸にして描いた自伝的小説らしい。何とその中に澁澤龍彦種村季弘両氏も登場するのである。
1990年12月8日
種村季弘『詐欺師の楽園』を一昨日読了。読むきっかけは『SPY』の特集で、こんなきっかけがないとずっと手をつけないでいたかも知れない。詐欺とは制度を熟知し、その裏をかくことだ、だから制度がなければそもそも詐欺は成立しない、などの氏の論はいつもながらなるほどと唸らせられる。
1990年12月12日
今日は、八時起床にて、バイトをする。仕事はいつも通り。(…)午後、改訂定価を調べていて、「種村季弘のラビリントス」(青土社)のうち、『悪魔礼拝』『吸血鬼幻想』の二冊を見つける。最初の時もそうであったが、この時はさらに大きい歓声を思わずあげてしまった。探求書の一つであったので、非常に嬉しい。(…)帰途、八重州に立ち寄り、種村季弘『日本漫遊記』(筑摩書房)を購う。
1990年12月13日
十時頃家を出、学校に行く前に金港堂ブックセンター*13に立ち寄る。そこで、種村季弘『晴浴雨浴日記』(河出書房新社)を購う。この頃発作的に種村季弘氏の本を買い漁っている。*14
1990年12月15日
書籍部にて、(…)種村季弘『贋物漫遊記』(ちくま文庫)を購う。又、種村季弘『怪物の解剖学』読了。ゴーレムからホムンクルスを経て、自動人形、マンドラゴラ、そしてピュグマリオンドッペルゲンゲルへと辿り着き、最後は「独身者の機械」で締め括るオブジェ=テーマ現象学……。取り上げる素材も、『ゴーレム』からギリシャ神話、そしてホフマンの諸作、内容自体は非常に興味深かったが、いかんせんその方面の基礎的素養がない。よって生半可な読み方しか出来ないのが悲しい。
1990年12月17日
種村季弘『晴浴雨浴日記』読了。漸く種村季弘さんの文章の感じがつかめてきた。ほのぼのとした暖かさがあって、それにユーモア、おまけに皮肉もきいている。こんな愉快なエッセイに惹かれないわけがない。今はっきり自分が種村季弘ファンだと断言できる。*15
1990年12月20日
書籍部にて種村季弘『黒い錬金術』(白水社)を購う。
種村季弘『贋物漫遊記』読了。この種村季弘さんのユーモアが好きだ。ユーモアに交じって所々に氏の博学なところが見え隠れしているところ、そしてそれを恐らく自分自身では気づかずに書いているところがいい*16
1990年12月21日
丸善では中野美代子さんの『ゼノンの時計』という小説集が日本文芸社の新刊で出ていて、その付録として中野さんと種村季弘さんの対談が付いており、心が動かされる。が、そこは踏み留まり、まず書籍部に来ているか探してからのこととした。又、金港堂では隔週誌『自由時代』*17の最新号が出ているのを見つける。何とそこには種村季弘さん、池内紀さん等四人の温泉入湯記(座談)がカラーグラビア付きでデカデカと出ており、種村・池内両氏の好々爺然としたヌード写真(?)につい買ってしまう。しかし、この種村さんの写真を見ても、もうすっかりお爺さんになってただの湯治客のようにのんびりとしておられる。私としては種村さんの鋭い指摘が縦横に走る文芸エッセイ集の新刊を首を長くして待っているのだが、この調子ではいくら待っても出てくるのは「温泉漫遊記」だけかも知れない。悲しむべし。*18
1990年12月24日
今年は、谷崎に始まり、澁澤龍彦種村季弘で終ったという感じだ。

私は種村さんの著作のなかでは、贋物をテーマにした『ぺてん師列伝』『詐欺師の楽園』『贋作者列伝』『ハレスはまた来る 偽書作家列伝』と“徘徊老人系”とも言うべき『晴浴雨浴日記』『人生居候日記』『徘徊老人の夏』が好きである。前者について言えば、『ぺてん師列伝』『詐欺師の楽園』あたりを読んで大興奮した記憶があるのだが、実際ふりかえってみるとそうでもないようだ。記憶を勝手に修正してしまっているらしい。

*1:仙台の新刊書店。たぶん一番丁に現存するほうの本店か。

*2:これが日記に「種村季弘」の名前が出た最初の記事である。

*3:仙台の某古書店

*4:アナクロニズム』が一番最初に読んだ種村さんの本だったとは。すっかり忘れていた。

*5:現在ジュンク堂書店が入っている建物。

*6:仙台市内の古書店。店内は雑然として何があるかわからないような雰囲気の小さな店だった。

*7:BOOKISH』第7号でも触れた伝説の新刊書店。

*8:5冊で20%引きだったか。

*9:いまでもこのときの岩波文庫新刊ラインナップはすごかったと思う。

*10:この松山さんの著書もいまでは珍しいものなのかもしれない。

*11:仙台駅前にある新刊書店。

*12:2号か3号で廃刊になった書評誌。私はアガサ・クリスティーの『スリーピング・マーダー』書評を投稿し採用された。

*13:当時東北地方最大の売場面積のあった新刊書店。いまはない。

*14:バイトや奨学金もあって、この当時は裕福だったなあ。

*15:この日が種村ファン記念日ということか。『晴浴雨浴日記』が決定打とは、いまの私の嗜好を暗示しているようだ。

*16:このあたりの解釈は自分でも首をひねってしまう。

*17:これも今はなき、中年男性世代をターゲットにした雑誌だった。

*18:いまでは「温泉漫遊記」的なエッセイの方が好みなのだから、人間変わるものである。