追憶のタネラムネラな日々【1991年前半編】

謎のカスパール・ハウザー

90年にひきつづき、91年に入っても種村熱は醒める気配がない。初出誌調査やそのコピーなど、むしろヒートアップしている。

1991年1月6日
種村季弘『謎のカスパール・ハウザー』読了。このような不可解な謎が錯綜し、それを一つ一つ解いていく読み物ははまってしまう。
1991年1月10日
帰途、青葉通の熊谷書店*1に立ち寄り、川本三郎氏の対談集『都市の風景学』(駸々堂)を購う。種村季弘氏との対談が入っていたためである。*2(…)昨日はこれを記せなかったが、取り合えず昨日八重州にて購いし雑誌を記しておく。『ミセス』二月号(種村氏が執筆していたため。買うのが恥ずかしかった。こんな婦人雑誌を。*3)、『彷書月刊』一月号、『STUDIO VOICE』二月号(三島由紀夫特集)の三冊。
1991年1月14日
八重州にて種村季弘『迷宮の魔術師たち 幻想画人伝』(求龍堂)を購う。
1991年1月16日
晴。九時頃起床。十時過ぎ家を出、新しい眼鏡を買うためメガネの相沢に行く。(…)迷った挙げ句初志のまま丸眼鏡を購う。直接のきっかけが種村季弘さんの丸眼鏡なのだから、(…)*4
1991年1月19日
書籍部にて種村季弘『謎のカスパール・ハウザー(新装版)』(河出)を購う。旧版のあとがきに数行加え、装丁が変わっていただけであった。増刷しないでなぜわざわざ新装版で出したのか、その真意が分からぬ。しかし、河出のため、また種村季弘さんの一応の新刊ということで、購うことにした*5
1991年2月1日
今日は一日であるので、書籍部よりサークル*6の棚にたまっていた本を引き取る。以下記す。『独身者の機械』(ミシェル・カルージュ著高山宏・森永徹訳、ありな書房)、『器怪の祝祭日』(種村季弘沖積舎)、(…)月刊『東京人』三月号。(…)『東京人』は初めて購った。以前から注目はしていたのだが、今回は池内紀出口裕弘巌谷國士堀切直人氏等という豪華執筆陣の上に、種村季弘氏と松山巌氏の対談などもあり、これでは買わずにはいられない。*7
1991年2月8日
書籍部にて『パリの憂愁』(ボードレール福永武彦訳、岩波文庫)、『食物漫遊記』(種村季弘ちくま文庫)を購う。
1991年2月11日
種村季弘『食物漫遊記』読了。いつもながら痛快な種村さんの文章にこちらもリラックスできた。それにしても、次々と引用される食物に関する本の数に、種村さんは一体何段の種類が違う抽斗を頭の中に持っているのだろうかとつくづく嘆息する。
1991年2月14日
昼食は家で食べ、一時頃学校に行く。学校では、雑談、少々の勉強、あとは図書館で種村季弘氏の雑誌掲載エッセイの初出誌調べなどをする。
1991年2月15日
図書館にて『ユリイカ』連載の種村季弘氏の『贋作者列伝』を全てコピーする。*8
1991年2月21日
学校では雑談、又、先日『ユリイカ』誌よりコピーした種村季弘氏の「贋作者列伝」をK氏の助けを借りて製本する。(…)又八重州ではポーラ文化研究所発行の雑誌『is』のバックナンバーが陳列されていて、それらをパラパラめくっていたら何と種村氏の「一角獣物語」がそこに連載されていた。今この単行本は品切れであるので、思わず買いたくなったが、連載分全てがあったわけではないし、図書館その他でコピーを入手する努力をしてからでも遅くはないだろうと思い止まる。
1991年2月22日
学校では、昨日記した『is』の所在を図書館で調べる。ところが我が図書館にはあるにはあるものの、第30号以降しか入っておらず、一方種村季弘氏の連載は第18号から五、六号分程であろうから、期待外れに終った。すぐさま学校から県立図書館に電話をかけ所在を尋ねたところ、創刊号からあるとの由、嬉々として電話を切る。明日天気が良かったら早速行ってコピーをとろう。
1991年2月23日
その後県立図書館に行き、『is』に連載されていた種村季弘氏の『一角獣物語』をコピーする。七号に亙って連載されていた。一枚30円なり。
1991年2月25日
書籍部にて種村季弘氏の『魔術的リアリズム』と『モダン都市文学2 モダンガールの誘惑』を注文す。
1991年3月2日
十時半頃学校に行く。途中、丸善に立ち寄り、『葛西善蔵随想集』(阿部昭編、福武文庫)を購う。『東京人』誌上の種村季弘松山巌氏の対談で、「葛西善蔵は今読んでも面白い」との種村氏の発言に触発されて。
1991年3月3日
昨日書籍部から貰ってきた『図書』三月号に種村季弘氏の寄稿があり、嬉々として読む。先月岩波から出た西洋中世の絵画に関する本『絵画術の書』に関するエッセイである。話は『絵画術の書』を起点に、種村好みの無時間・固定空間論へと飛翔し、現代の脱臼事象への限りない愛着へとつながる。もちろんつまらぬ現代への強烈な揶揄を含む。いつもながらの種村節を十分に味わわせてもらった。どう考えても、種村季弘氏は私の現代の最も好きな著述家である。早くこれら様々な含蓄に富むエッセイを集成して、エッセイ集を出してほしいものだ。
1991年3月13日
八重州では『ユリイカ』『現代思想』のバックナンバーが並べられていて、その中から1984年2月号の内田百間特集を購う。種村季弘氏と川村二郎氏の対談をはじめ、池内紀氏や堀切直人氏等も執筆していて、内容の濃そうな一冊であり、期待して読もうと思う。
1991年4月1日
今日は一日なので、いろいろ本を購う。(…)『魔術的リアリズム』(種村季弘PARCO出版)(…)
1991年4月4日
書籍部にて、『デビッド100コラム』(橋本治河出文庫)、『自家謹製小説読本』(吉行淳之介著、山本容朗編、集英社文庫)を購う。前者は前々から買おうかどうか迷っていたが、意を決して購う*9。後者はふと手に取って中を見たら、種村季弘さんとの対談が収録されていたので購う。
1991年4月6日
バイト先にて『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス小尾芙佐訳、早川書房)、『東京百話』(種村季弘編、ちくま文庫)、『随筆集 春の海』(宮城道雄、旺文社文庫)、『銃器店へ』(中井英夫、角川文庫)を購う。
1991年4月20日
種村季弘『ぺてん師列伝』読了。種村さんの描くぺてん師たちの犯罪は、まわりの人々が彼らを本物だと思い込むことがまず最初の大きな成功の要因になっている。いとも簡単にぺてん師たちを本物の王子貴族に祭り上げる当時の人々、社会が今の私には不思議でならない。が、面白い。又、どちらかというと、私は『詐欺師の楽園』の方が精彩があって好きである。
1991年4月28日
帰宅後は市立図書館*10でブラブラしていた。時間はたっぷりあったので、そこで種村季弘さんの『書国探険記』を読了す。又、同じく種村さんの『箱の中の見知らぬ国』、橋本治の『ロバート本』を借りる。
1991年5月4日
丸善にて、『諸國畸人傳』(石川淳、中公文庫)、八重州にて、『A感覚とV感覚』(稲垣足穂河出文庫)、『東京人』六月号を購う。『諸國…』は以前熊谷書店にて古本で購ったが、今日たまたま新しいのが丸善に入っていたので、つい購ってしまった。又、『A感覚…』は、『図書』『月刊百科』の各五月号を貰うために購う。まあいつかは購う予定のものであったので、よしとすべし。又、『東京人』は、特集(「東京」解説ブックガイド)も気に入り、加えて種村季弘さんと日影丈吉さんの対談があったので。ちょっと今日は本を買い過ぎた感がある。

まだまだ「タネラムネラな日々」はつづくのだが、種村さんに関する記事があまりに多すぎて加工するのに疲れてきたので、このあたりでいったん打ち止めにする。

*1:古書店。すでに閉店。

*2:当時は川本三郎さんは種村さんの対談相手という認識だったか。

*3:これは後にやっきさんにお譲りした。

*4:当時種村さんは丸眼鏡をかけておられ、私はこの影響を受けた。私はいまも丸眼鏡である。

*5:いまでは同書の旧版・新装版・文庫版が仲良く書棚に並んでいる。

*6:共同購入のグループのこと。注文した本を個人注文とは別の場所に置いてくれ、引き取り期間も融通がきいた。

*7:特集は「東京くぼみ町コレクション」。これが初購入だったのか。まだ手元にあり、見てみると、川本さんによる野口冨士男インタビューといった記事もある。東京に来てから、持っていることを忘れて新橋の青空古本市でダブって購入したことを思い出す。

*8:当時私は大学院修士一年。専門の勉強をせずに何をやっていたんだろう?

*9:この本をきっかけに、一時橋本治に夢中になった。

*10:山形市立図書館。ゴールデンウィークで帰省したのだろう。