教える礼儀、教わる礼儀

続礼儀作法入門

先日の『礼儀作法入門』*1新潮文庫)につづき、今年二月に新潮文庫に入った山口瞳さんの『続 礼儀作法入門』*2を読み終えた。
解説「門前の小僧」を書いておられるご子息の山口正介さんは、前者を総花的とすれば、後者はやや具体的と表現する。実際前著で触れられなかった作法に関する細かな局面に触れられている。
今回続篇を読んで意外に思った点のひとつは、山口さんはあまり自分の考え方に頑固にこだわらない方だということ。他人の意見が正しいと思ったらすぐそれを採用する。
たとえば「20 読書について」の項で、自著の献本について書かれている。山本周五郎の意見として、小説家が小説家に献本するのは、相手に対してこの本を読めという意味になるので非常に失礼だというものだ。
それまで割合献本をするほうだった山口さんは、この話を聞いてから献本の数が半分か三分の一に減ったという。相手が山本周五郎だからということもあろうけれど、盲従といってもいいような従順ぶりだ。
意外な点のいまひとつは、礼儀作法について書いている山口さんご自身も、自分がこれまでの生活のなかで身につけてきた作法と、この本を書いた時期の作法のズレ(変化)を感じており、手さぐり状態ではなかったかということ。
「17 ホテルと旅館」で、ホテルで用事を頼んだボーイに手渡すチップの額について、五年前までは100円ですんだが、いまではそれが妥当なのか悩んでいるとして、読者の教示を仰いでいる。
読者の教示を仰ぐということでは、「13 嫁を選ばば」でも同じ。京都における結婚披露宴での贈答習俗について、関東の人間として疑問を呈し、京都在住の識者の考えを聞きたいと書く。
この場合時間的なズレというよりは地域差の疑問だが、このように本書では山口さんが読者に礼儀作法を教えるということはもとより、著者自身も自分が正しいと思っている作法をあえて書き、読者からの意見を求める、つまり山口さん自身が「礼儀作法入門」しているという側面もあるのではないかと思うのである。
なるほどと考えさせられたのは「おたく」についての指摘。「23 通ぶる人」のなかで「おたく」という言葉は元来東京独特の言葉であり、他地域の人間がそれを耳にすると奇異に感じるとし、これに似た言葉の使い方として、鮨屋でのムラサキ・アガリといった隠語を例にあげている。

サビ抜き、ムラサキ、アガリ、オアイソという言い方をする人は、つまり、この、おたくを連発する青年と同じことなのである。すなわち、初心者である。早く馴れたいと思っているのである。(文庫版199頁)
これが書かれた時期(1976年)にはもちろんいわゆる「オタク」などという人間集団の定義はなされていない。上記の文章はまるでその出現を予言しているかのようだ。
この山口さんの考えを敷衍すれば、「オタク」の何たるかがわかるような気がする。すなわち、今ではすっかり定着した感のある「オタク」は、このような閉じられた世界での人間関係における「隠語」であり、その世界のなかで「馴れない」、つまり他者に対して距離をおいたままの関係を保とうとするために採用された相手の呼び方なのだといえよう。
相手を「おたく」と呼び合っている以上、人間関係が決してフレンドリーにならないそんな「馴れない」「通ぶる」集団なのである。