和田・三谷コンビで酒気を抜け

新文芸坐6周年特集

案の定前夜の忘年会では度を超して呑んでしまった。もとより気の合う仲間と久しぶりの飲み会ということもあり、これまで同様ガバガバと呑むことになるのは予想できたし、実際すこぶる愉しかったので、そのとおりガバガバ呑んでしまった。
本当は心もちセーブするつもりで、仲間にもそう宣言していたのである。忘年会の予定は早くから決まっていたけれども、そのあと、翌日朝早くから観たい映画の予定が入ってしまったのだった。忘年会をとるか映画をとるかというほど二者択一に迫られるわけではないが、二日酔いはこりごりだし、やはり酒量をセーブするに越したことはない。
ところが呑むとそんなことは忘れてしまう。やっぱり愉しくて飲み過ぎ、気分良くふらふらになって帰宅しそのまま寝床に入ったのはいいが、翌朝未明から頭がズキズキと痛み出し、起こされた。人間は反省しない。またしても二日酔いの兆候である。
眠れないので起きていたら気分も悪くなってきた。すでに胃の中身は消化されてしまい空っぽだったが、何度もトイレと居間を往復し、居間ではソファでぐったりしていた。自分でも酒臭いのがわかり、しかもまだ歩くとふらふらする。酔いが完全に抜けていないのである。
しかし今日の映画も譲れない。気力で朝風呂に入り、半分眠りながらお湯につかっているうち、ちょっぴり回復してきた。風呂から上がりソファでうたた寝していたら、外出できるのではないかというところまで気分も戻ってきたのだった。ただ、まだ飲み物も食べ物も受け付けないので、お腹を空かせたままいざ池袋へと出かける。
「あの様子では、絶対二日酔いで行けないだろうな」と踏んだはずの昨夜の呑み仲間は、この文章を読んで、「あーあ、行っちゃってるよ〜」と呆れているに違いない。行っちゃったのです。呆れて下さい。二本あるうちの一本目を観終えたあたりまで頭痛は残り、完璧な状態ではなかったけれど。
そこまでして観たかったのは、今日から池袋の新文芸坐で始まった和田誠さん企画の日本映画特集「新文芸坐6周年記念 和田誠が「もう一度観たいのになかなかチャンスがない」と言っている日本映画」ゆえであり、初日の今日は和田さんと三谷幸喜さんのトークショーが予定されていたからなのだ。今日だけでなく、和田さんは期間中の一週間、ゲストを替えて連日トークショーを予定されているからすごい。
ギリギリまで家で休んでいたので、新文芸坐に着いたのは開始10分前だった。呑み会では仲間に「早く行かないと…」とおどかされていたのだが、心配は杞憂で、もちろん満席に近い入りではあったものの、後の方の列の真ん中辺の座席を無事確保でき、安堵した。
観たのは次の二本。今日はミステリ・サスペンス系作品の日だった。

  • 和田誠が「もう一度観たいのになかなかチャンスがない」と言っている日本映画@新文芸坐
「三十六人の乗客」(1957年、東京映画・東宝
監督杉江敏男/原作有馬頼義/脚本井手雅人瀬川昌治/小泉博/淡路恵子志村喬扇千景多々良純/若山セツ子/千秋実佐藤允中谷一郎佐々木孝丸森川信/塩沢登代路/宮島健一/堺左千夫
「死の十字路」(1956年、日活) ※三度目
監督井上梅次/原作江戸川乱歩/脚本渡辺剣次三國連太郎新珠三千代大坂志郎三島耕芦川いづみ/安部徹/沢村國太郎/藤代鮎子/多摩桂子/永島明/小林重四郎

「三十六人の乗客」は、刑事の仕事に嫌気がさし、辞表を仲間に託して愛人淡路恵子草津へバス旅行に出かけた若い刑事小泉博が主人公。強盗殺人事件の犯人が信越方面に逃げ、小泉の乗る遠距離バスにたまたま乗り合わせているかもしれないという連絡が入る。乗客36人のうち、誰が犯人なのかというサスペンスに満ちた佳品だった。
捜査課長が佐々木孝丸。胸が悪いのかいつも咳きこんでうがいしている。その下で捜査を仕切るのが志村喬志村喬は娘を小泉に嫁がせているので、小泉の岳父にあたる。辞表を出し、自分の娘を残して愛人と旅行に出かけるという娘婿に苦い顔をする。
志村の娘で小泉の妻は、夫が愛人を外につくってもまったく気づかないという馬鹿正直な女性で、可愛い女優さんだなあと思っていたら、あとのトークショーで若山セツ子であることがわかった。若山セツ子出演映画をそれほど観ていないから、気づかなかった。「石中先生行状記」の若山も良かったという記憶があるので、結局この女優さんもわたし好みのタイプということだ。
いっぽうの淡路恵子も色っぽくていい。「重役の椅子」もそうだったが、妻子ある男が隠れて愛人と旅行に出かけるというシチュエーションでの、愛人役にピタリはまる。「死の十字路」での新珠三千代の愛人とも違う存在感。隠微な魅力。
バスの乗客も役者揃いで、群衆劇としても出色の出来栄えだ。疑えばきりがないほど、仔細に観察すれば皆ちょっとした怪しさを持っている。多々良純千秋実森川信や塩沢登代路(とき)、佐藤允中谷一郎、そしてチャーミングなバスガイド扇千景千秋実多々良純の存在がサスペンスにユーモアを持ち込んで、それがサスペンスによる緊張のなかに程のいい緩みをもたらす。
トークショーで三谷さんは、この映画を、サスペンスあり群衆劇の面白さあり、最後には犯人追跡のアクションありで、観客を面白がらせることに徹していると高く評してした。まったくそのとおりで、犯人がわかってからさらに緊迫感は増し、追跡のアクションも躍動感に満ちる。事件が解決し、乗り合わせた乗客が草津で散り散りになっていくラストも、運転手を含めたバスの人びと個々の人間ドラマが展開されており、ほろりとさせられる。
二本目の「死の十字路」はこれで三度目だ。かねがね観たいと思っていて、初めて観ることが叶ったのは一年前のラピュタ阿佐ヶ谷だった(→2005/12/3条)。さらに今年の秋にテレビで再見できた(→9/10条)。
和田さんが「「もう一度観たいのになかなかチャンスがない」と言っている」映画を一年で三回も観ることができたというのも不思議なめぐり合わせだが、これが何度観ても面白い傑作なのだ。何度観てもハラハラさせられ、三國・新珠愛人コンビの演技に魅せられ、大坂志郎のモダンさにしびれる。もちろん芦川いづみの可憐さにも。
トークショーでは、三谷さんが、三國・新珠はむろんいいけど、この映画の主役は大坂志郎だと喝破し、自分は「大岡越前」の大坂さんしか知らなかったが、昔はこんな役をやっていたんですねと話してから、和田さんとの間でひとしきり大坂志郎さんの話題で盛り上がったのは、大坂ファンとしては大喜び、二日酔いをおして出てきた甲斐があった。
三度目の今回は、新珠三千代の着ている服のデザインセンスに魅せられた。白いブラウスの普段着から、寝巻、スーツ姿、ちょっと肩を出した黒のイブニングドレスなど、彼女の美しさスタイルの良さに惚れ惚れする。
ラスト近く、探偵大坂志郎を乗せた三國の車がぐんぐんスピードを上げて、助手席の大坂がだんだん怯えた表情を見せるあたり、背景音楽の高鳴りと相まってスリル満点。前からこの場面は好きだったが、今回観て、やはりこの映画のなかでもとりわけ光るシーンのひとつであると思った。
とびきりのサスペンス映画を二本観た熱気をそのまま受けてのトークショーも大満足だった。わたしにとっては初めての“ナマ和田”だし、“ナマ三谷”でもあったから。それぞれの映画の見所について、これから観る人の楽しみを削がないようユーモアたっぷりに魅力を語る。
また、前述した大坂志郎さんの話題や、三谷さんも出演した「犬神家の一族」から市川崑監督の話題、三谷さんの映画や脚本の話題、好きな映画の話題などなど、とくに好きな映画の好きなシーン、好きな役者を語らせたら、あれもこれもと二人の口から映画や役者の名前が次々と飛び出して、それをそのままずっと聞いていたいほどだった。
三谷さんは「三十六人の乗客」のように、あらゆる映画の要素をバランス良く盛り込んでただひたすら観客を楽しませるような作品を作りたいと熱く話す。ただ楽しませればいい。そこに一本筋の通ったテーマなど無用。それを聴くわたしは強く頷く。“職人脚本家”であり続けたいし、そのためにも映画のオリジナル脚本を手がけたい(他人の監督で)という希望も話された。
帰りには和田さんのサインの入った『シネマ今昔問答』*1新書館)を買い求め、ほくほくした気分で雨で空気も冷たい池袋の町へと出る。もうその頃には二日酔いもどこへやら。いい映画を観せてもらったから、夜ビールでも飲もうかななどと、またしても反省をしない人間なのだった。
『シネマ今昔問答』は以前「望郷篇」のほうを新刊で買って読んでおり(→8/22条)、その兄貴分の本書も読みたいと思っていたので、サイン入りだしタイミングもよかった。
今日のトークショーのコンビ和田・三谷両氏の対談集『それはまた別の話』(文春文庫)は持っているつもりでいたが、帰宅して探してみると見あたらない。勘違いだったようだ(昨夜酔った勢いで、さも持っているかのような話をしてしまった。ゴメンナサイ)。新文芸坐で帯付本が売られていたので、それを買うためにまたどの日か観に行かねば。いや、観に行きたい。