不思議な物語との遭遇

東京夜話

いしいしんじさんの文庫新刊『東京夜話』*1新潮文庫)を読み終えた。
たまたま新潮文庫の新刊コーナーを見ていたら本書、とりわけタイトルが目に止まり、手に取った。目次を見ると下北沢・原宿・上野谷中・新宿西口新都心・神保町・築地などの東京の町の名前がずらりと並んでおり、そのラインナップに魅せられたことが第一点。カバー折返しの著者紹介を見ると、やさしそうな人柄がにじみ出る顔写真と、1966年生まれという私とほぼ同世代(私より一年年長)の経歴に惹かれたことがふたつ目。
以上二つの理由だけで購入を決めた。もちろん文庫なので(新潮文庫はとくに)値段が安いというのも大きな理由としてあげなければならないか。
だから買ったときにはそれが町歩きのエッセイもしくはルポルタージュのたぐいなのか、そうでないのかさっぱりわからなかったし、いしいしんじという著者も何となく聞いたことがあるなあというレベルだったのである。
読み始めてその面白さに惹き込まれ、あれこれ情報を集めるうち、そもそもこの『東京夜話』の原題は『とーきょー いしい あるき』であり、いしいさんのデビュー作であること、また、エッセイ集などではなく短編小説集であること、いしいさんは最近話題の物語作家であることなどがわかってきたのだった。
本書をきっかけにいしいさんの愛読者となり、あとでこの文章を読み返したとき、きっと自分の認識不足であることを嗤いたくなるに違いない。でも上記の経緯が嘘偽りないものなのだから仕方がない。
フィクションだと思わず読み始めたこともあって、最初の下北沢を舞台にした一篇「真夜中の生ゴミ」を読み進めて驚いた。下北沢に群がる「生ゴミ」を回収する回収車の物語なのだが、その生ゴミが人間であり、彼らは回収業者からたんに「ミュージシャン」「演劇」「キャバクラ」などとカテゴリー名でしか呼ばれないのである。
下北沢に徘徊する人間、他区から「不法投棄」された人間に消音銃を発射して生ゴミとして回収する。近未来のSF物語のようで、でもSFとも言い切れないようなリアリティがあり、また諷刺的な意図も込められる。
本書に収録されている短篇群の語り口は多種多様変幻自在で、下北沢篇のような近未来SF的作品もあれば、銀座篇のように論文調(外国人が書いた変な日本論の翻訳)のものもある。東京の町の性質に合わせてスタイルを変えてゆくといった按配で、物語のスタイルがその町の特質の一端を示すものともなっているのである。
そのなかでもわたしは、人間以外の生物や物体を擬人化して物語に仕立てた系統の短篇にぞっこん惚れ込んでしまった。築地篇「クロマグロとシロザケ」、池袋篇「正直袋の神経衰弱」、新宿ゴールデン街篇「天使はジェット気流に乗って」、東京湾篇「二月二十日 産卵。」がそれだ。
とりわけ「クロマグロとシロザケ」には頭をがつんと殴られたようなショックを受ける。太平洋の日本近海から広くアメリカ西岸の東太平洋まで回遊する魚もいるというクロマグロと、日本北部、ロシアやアラスカ沿岸を回遊して河川に戻るシロザケの哀しくも感動的な愛の物語。
魚が主人公と思えないほど感情移入し、しまいには熱いものまで込みあげてしまうのは物語としての質の高さを示すだろう。一匹のクロマグロのオスの成長物語でもあるし、クロマグロとシロザケを外側から眺める人間たち(築地で働く人びと)の視点を取り込む場面転換も見事である。
「二月二十日 産卵。」はカラスが主人公で、これも何だか暖かい家族の物語で、カラスが主人公であることを半分忘れてしまう。「天使はジェット気流に乗って」ではもはや主人公は生き物でなくダッチワイフであり、「正直袋の神経衰弱」に至っては具体物ですらない。「池袋」が擬人化されて登場してくるのである。それでも感情移入できる不思議さ。
生き物以外のモノたちの物語で、読むうち感情移入させてしまうという点では、筒井康隆さんの『虚航船団』を想起させる。一般的ないしいさんの評価がどのようなものなのかわからないながら、擬人化物以外の、先に触れた「真夜中の生ゴミ」においても、筒井作品との親近性を感じてしまうのである。
解説の蜂飼耳さんも指摘するカフカ『審判』的な霞ヶ関篇「お面法廷」も不思議な味わいをもつし、その他私小説的な諸篇(渋谷篇「クリスマス追跡」、田町篇「うつぼかずらの夜」)に登場する作者に近いとおぼしき関西弁を話す主人公の関西人的なノリが、なぜか『東京夜話』という小説のなかにぴったりはまる。
ちょっとしばらくの間いしいしんじという作家に注目していきたい。