清水宏の2作品

  • 「松竹110年 名匠たちの輝ける軌跡」@新文芸坐
「有りがたうさん」(1936年、松竹)※二度目
監督清水宏/原作川端康成上原謙/石山隆嗣/仲英之助/桑野通子/築地まゆみ/二葉かほる/河村黎吉/忍節子
「信子」(1940年、松竹大船)
監督清水宏/原作獅子文六高峰三枝子/三浦光子/岡村文子/飯田蝶子/三谷幸子/日守新一

書友ふじたさん(id:foujita)とは、本や映画、歌舞伎などで似た嗜好を持っていると思うのだが、それらを読んだり観たりしたあとの感想ということになると、ときには正反対になることもあって、人それぞれで面白いなあと妙に感心することがある。映画で言えば、獅子文六原作の「バナナ」「なんじゃもんじゃ」がそうだった。わたしは愉しんだのだが、ふじたさん好みではなかったらしい。そんな対照的な感想を持った映画に、「有りがたうさん」もある。
去年の冬、日にちは違うが、シネスイッチ銀座での「松竹110周年祭」で観てそれぞれ感想を書いている(→2005/11/22条id:foujita:20051124)。わたしは期待外れで「絶品ではない」としたのに対し、ふじたさんは「絶品」と褒めたたえておられる。
いま自分の稚拙な感想を読み返してみると、「観終えたあとのカタルシスを期待していた」などと書いているが、そもそもあの映画にカタルシスを期待するのがおかしいと反省してしまう。というのも、観てから半年を経てなお、あの映画のシーンがときどき脳裏にふとよみがえってくることがあって、ほのぼのとした気持ちになったからだ。映画を観た直後には何でもなくても、ボディブローのようにじわじわと効いてきたといった感じか。
池袋の新文芸坐で、「松竹110周年祭」のとき時間が合わず泣く泣く見逃した同じ清水宏監督の「信子」を上映すると知り、楽しみにしていた。ちょうど併映作が「有りがたうさん」で、新文芸坐は一回ごとの入れ替え制ではないから、貧乏性人間としては半年ぶりに観直してみようと朝早くから池袋に出かけたのである。半年の間に「有りがたうさん」をスクリーンで二度観ることができるなんて、東京という都市に「有りがたう」と言いたい。
さて最初が「有りがたうさん」だった。さすがに良さがじわじわ効いていたせいか、90分足らずの時間の経過がまったく気にならないほど楽しめた。映画の設定では、上原謙は秋だと言っていたけれど、春風駘蕩とでも表現すべきなのか、あの映画を包み込むのどかで暖かそうな雰囲気がたまらなく素晴らしい。何度観ても美しい桑野通子と髭親父の掛け合いや、有りがたうさんに言伝を頼む旅芸人の家族、バスの後ろにしがみついてただ乗りして家に帰る学生たち、胸がきゅんとなる朝鮮人の女の子の挿話、そしてむろん、東京に働きに出るためバスに乗った母娘の心の動き。伊豆の海や山の風景のなかにこれら人間のドラマが交錯する。自分の評価を変えねばならないと思った。
いっぽう期待の「信子」のほうだが、こちらは期待ほどではなかった。などと書くとまた後日訂正することになるのかもしれないが、たぶん期待が大きすぎたのだろう。原作が面白かったので。
原作は、大分の田舎から東京の女学校の教師になるため出てきた女性主人公が、先生たちの間の派閥争いや生徒からのイジメにあいながら克服していくという、「裏返しの坊っちゃん」物語というべき痛快な話だった(→2003/12/18条)。
映画では主人公は高峰三枝子。すらりとスマートでモダンな洋装をして登場するから、一見田舎出とは思われない。新橋の親類のおばさんの家に下宿しようと狭い路地を右往左往するのが導入部。ようやく探し当てたおばさんの家は芸者置屋なのだった。モダンな高峰と芸者置屋という対照の妙。おばさんの役が飯田蝶子。この映画でもっとも強い印象に残ったのが、飯田蝶子の早口で歯切れのいい東京弁だった。あれは地なんだろうなあと思ってしまうほどの自然な口ぶりで、聞いていて実に気持ちがいい。
原作では高峰に「宇垣さん」というとんでもないあだ名をつけられる校長が岡村文子という女優。この名前を知らないでいたが、ちょうど電車のなかで読んでいた山口瞳さんのエッセイのなかに、栗島すみ子と一緒に出てきたので、そういう時代に名の知られた人なのだろう。映画ではあだ名は出てこない。
坊っちゃん」物語としての特徴はあだ名に尽きると思われるのだが、映画ではあだ名も、校内の派閥対立もまったく捨象され、生徒との確執と克服という点にストーリーが絞られてしまっている。原作を楽しんで読んだ立場としては、ここに物足りなさを感じたのだろう。
高峰に反抗する、学校のパトロンの娘役に若き三浦光子。でも、パーマをかけてセーラー服を着た三浦光子が不似合いで野暮ったく、高峰と生徒と先生役を交換してもいいのではないかと思うほど老けて見えたのである。いま調べてみると高峰さんが1918年生まれ、三浦さんが1917年生まれ。何と! 三浦さんのほうが一つ年上ではないか!(映画は1940年だから、それぞれ20代前半の頃)
まあ映画だからそういうことはよくある話だとしても、三浦さんの台詞を聞いていたら、成瀬巳喜男監督「稲妻」でのあの色っぽい口跡そのままで(「稲妻」は1952年)、それと顔とセーラー服の取り合わせに多少げんなりしてしまったのである。
ストーリーも三浦光子のニンに合わない役柄も、このさい高峰三枝子のきりっとした美貌の前にはどうでもいいのかもしれない。きっとこの映画は美貌の高峰三枝子が教師としての信念を貫き困難を克服し、最後に万事解決というストーリーを楽しむものなのだろうから。獅子文六原作の映画にしては、原作の面白さが活かされていない、不満の残る内容だったと書いておく。