情緒が足に突き刺さる

映画×温泉 湯けむり日本映画紀行

「簪」(1941年、松竹大船)
監督清水宏/原作井伏鱒二/脚本長瀬喜伴田中絹代笠智衆斎藤達雄日守新一/川崎弘子/三村秀子/河原侃二/横山準/大塚正義/坂本武

今回の特集のなかではこの「簪」を観ようと思っていたが、うっかりして最終日今日になって上映中であることに気づいた。あわてて仕事帰り阿佐ヶ谷へ向かう。
たしかこの映画は小林信彦さんが言及していたはずと、帰宅後調べてみると、『ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200』*1(文春文庫)のなかで邦画100本のなかに本作品をあげ、次のようにコメントしている。

東京から温泉にきた日蔭者の女が簪で傷病兵に怪我をさせてしまう。井伏鱒二の原作と清水宏の淡々としてユーモラスな作風がぴったり合った佳作。
たしかにいかにも井伏鱒二の小説らしいのどかな雰囲気が全篇を満たしている。ただこれが「いかにも清水宏」なのかは、清水作品を多く観ていないわたしには断言できない。少なくとも、清水作品でよく挙げられる「有りがたうさん」の駘蕩たる雰囲気と共通するものがあり、これが「いかにも…」なのであれば、やはり「簪」も「いかにも…」と言うべきなのだろう。
個人的には「有りがたうさん」に軍配を上げる。この「簪」では、傷病兵(なのかどうか、映画中で説明があったろうか)笠智衆(先日の「今朝の秋」と比べると若い!)が、湯治中風呂の中で女性の簪を踏んで足を怪我してしまい、その持ち主(田中絹代)がお詫びのため宿にやってくるまでの、持ち主は美人なのか不美人なのか、美人だったら…、不美人だったら…というドーデモイイようなことをあれこれ議論するあたりまでがユーモアに満ちて面白く、それ以後はちょっと退屈してしまった。
長滞在の湯治客のなかでもリーダー的存在なのが、「学者先生」斎藤達雄。いつも苦虫を噛みつぶしたような表情で、狷介、気むずかしい人。団体客がうるさいとすぐ帳場に電話をかけ怒鳴りつける。按摩が団体客に押さえられてしまうと怒り狂う。同宿の若夫婦の夫日守新一が何かにつけ妻の意見を求めることに苛立ち、その都度じろりと睨みつけられると、気の弱い日守が「失礼しました」と小声で謝るのがおかしい。
笠が怪我したときも、斎藤達雄が代わりに番頭にクレームをつける。肝心の怪我した張本人は、足に簪が刺さったというのは、「情緒が足に突き刺さったようなものだ」と好意的に受けとめ、さほどの憤りをあらわさない。「情緒が足に突き刺さる」とは、名言だ。
田中絹代は典型的な日本女性で、この作品では洋装・和装両方で姿を見せるが、断然和服姿が美しい。洋装になるとスタイルがあまりよくないので、ちょっと損だ。
小林信彦さんだけでなく、中野翠さんもこの映画のことを書いていたような気がするが(『毎日一人は面白い人がいる』で斎藤達雄?)、本が見つからない。
簪 [VHS]

簪 [VHS]