千葉泰樹三連発あるいは東野英治郎という時代

三百人劇場千葉泰樹特集

10年目の結婚記念日という節目にあたるので、休暇をとって妻と銀座に食事に行く。食事のあとは少し買い物。せっかく休みをとったので、そのまま帰るのはもったいなく、三百人劇場に立ち寄って映画を観まくる。

「続大番 風雲篇」(1957年、東宝
監督千葉泰樹/原作獅子文六加東大介淡島千景原節子仲代達矢河津清三郎/青山京子/東野英治郎柳永二郎多々良純三木のり平平田昭彦

前作は5.15事件で財産を失ったところで終わったが、今回は、田舎宇和島で英気を養い、心機一転ふたたび相場師として兜町に打って出、浮き沈みを繰り返してゆくギューちゃんを描く。お世話になった冨士證券木谷社長(河津清三郎)の自殺という報を受け、茫然自失の体で相場師をやめる決意をするところで終わっている。
兜町の證券会社街が映画によく登場する。セットではないだろう。とすれば、なんとモダンなオフィス街であることかと感嘆する。日本でないような、石造の重厚なファサードをもった建物が両側に建ち並ぶ。その中心に、角に面した円形のファサードが美しい旧東京証券取引所(東京株式取引所)の建物。松葉一清『帝都復興せり!』*1朝日文庫)によれば、昭和2年、横河事務所の設計にかかるという。
あいかわらずこの映画でも淡島千景が艶っぽく、美しい。なのにギューちゃんは原節子に憧れ、一生結婚しないと心に誓っている。相棒の仲代からも忠告を受けるが、観ながら「ギューちゃん、おまきさん(淡島)と一緒になれよ」と心で叫ぶ。
先日観た「江分利満氏の優雅な生活」もそうだったが、このシリーズで「チャップリンさん」を演じる東野英治郎の存在感が際だつ。「江分利満氏…」での江分利の父親役といい、チャップリンさんといい、あの胡散臭さが東野にピタリとはまる。
古い日本映画を観ていると、東野英治郎は脇役でありながらキラリと光り印象を残す役として出演していることがまことに多い。そして、そのいずれもが東野でなければと思うような役なのだ。むろん他の役者さんだって演じきれるのかもしれないけれど、やはり東野が演じると、ピタリと映画が描く時代の空気にはまるから不思議だ。
いま、このように、東野がはまるような映画が作られているだろうか。たぶんないだろう。東野は昭和20年代から30年代までの日本の時代を体現する役者なのかもしれない。東野が演じるような人間がたしかにいて、それが昭和20年代、30年代の一面なのだ。
わたしは当然「水戸黄門」でしか彼を知らなかった。古い映画を観るようになって、その脇役としての存在の大きさを知った。茺田研吾さんは著書『脇役本』のなかで東野の著作に触れ、彼が亡くなったとき、水戸黄門としてばかりクローズアップされ、「ほかの仕事は黙殺されていて憤った」と書いている。
上記の印象に照らし合わせれば、「ほかの仕事」が黙殺されたことに同じく憤りを感じる反面で、時代精神を体現していたという実感を知らない人間が多くなった当然の成り行きだったとも、悲しいながら思うのである。

「好人物の夫婦」(1956年、東宝
監督千葉泰樹/原作志賀直哉池部良津島恵子/青山京子/有島一郎東郷晴子中北千枝子

「ダイヤモンドシリーズ」という1時間弱の短篇映画として制作された。わたしは併映の「下町」を観たくてこれもついでにという感じだったが、意外にきりっとまとまって面白い。
鎌倉の海岸近くに住む画家の池部とその妻津島。津島の祖母が病気になったというので、見舞いのため祖母がいる大阪に二ヶ月間滞在する。その間女中として働いていた女の子(青山京子)が妊娠してしまい、帰宅した津島に疑いをもたれ、懸命に弁解する池部。
そんな夫婦の間に押し寄せるさざ波のような心の変化がうまく捉えられている。池部夫妻の間に波風を立たせるよう仕向けるのが、隣家の有島一郎・東郷春子夫婦。最後にこの夫婦は、有島の浮気が原因で、物を投げて家のガラスを割るほどの大喧嘩をしてしまう。

「下町(ダウンタウン)」(1957年、東宝
監督千葉泰樹/原作林芙美子山田五十鈴三船敏郎/亀谷雅敬/淡路恵子多々良純

川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』シリーズ(小学館)をめくっていて、観たいと思いつづけていた映画をようやく観ることができた。これも1時間弱の短篇。
夫がシベリアで抑留され、彼を待ちながら静岡茶の行商をして生計を立てている山田五十鈴。途中立ち寄った四つ木荒川べりにある建築会社の資材置き場で寝泊まりしながら働く三船と親しくなり、二人は徐々に近づいてゆく。
帰ってくるあてのない夫を待ちつづけながら、しかし気さくで頼れる、やはりシベリア帰りの三船に惹かれてしまうという揺れる女(30歳で8歳の男児をもつ母親という設定)の心を山田が見事に演じている。それにしても、あんなドラマティックな幕切れになるとは思わなかった。
『映画の昭和雑貨店』シリーズでは、たとえば『映画の昭和雑貨店』*2の30頁(「引揚者」)や120頁(「遊園地」)に本作品のスチール写真が掲載されている。ここに映る山田の笑顔、山田と三船の雰囲気がとてもよくて、この映画に惹かれたのであった。
でも実際に観てみると、映画にはこの2枚のスチールにあるような場面はなかった。よくあることだろうとは言え、なんとも不思議な感じである。
久しぶりに3本も映画を立てつづけにみるという経験をして、お尻が痛かった。4月から続いていた三百人劇場での吉村公三郎千葉泰樹特集も、これで観る予定をすべて消化した。さて次は、6月7月にフィルムセンターで予定されている豊田四郎監督生誕百年特集だ。