川島作品で気散じ

映画監督川島雄三

「縞の背広の親分衆」(1961年、東京映画・東宝
監督川島雄三/脚本柳沢類寿/森繁久弥フランキー堺淡島千景/団玲子/有島一郎桂小金治西村晃ジェリー藤尾藤間紫/田浦正巳/春川ますみ堺左千夫千石規子渥美清松村達雄坪内美詠子/沢村いき雄

CS(ケーブルテレビ)の川島雄三特集で、ほとんどの川島作品をDVDに録画したし、大入りが予想されることもあって、フィルムセンターでの川島レトロスペクティブには行かないつもりでいた。でもこのところいろいろな原因で屈託しており、仕事帰りぱあっと派手な川島作品でも観て気を晴らそうと思い立った。
あまり有名な作品だと人も多かろうし、目立たないものをと選んだのが、「縞の背広の親分衆」だ。DVDで持ってはいるが(未見)、スクリーンで大勢の人と観る愉しさはまた格別だろう。
フィルムセンターに入って面食らったのは、20歳前後とおぼしい若い女性の集団が行列に加わっていたこと。とうとう川島雄三にはこのような世代のファンもついたのかと感慨をおぼえた。
ただ冷静に考えるとどうも妙だ。いまいる場所が「東京国立近代美術館フィルムセンター」であることをパンフレットで知り、「へえここ美術館なんだね」という見当はずれな会話をしているなど、フィルムセンター初体験らしいのだ。熱心な映画ファンとも見えず、ひょっとしたら女子大でこの映画を観てレポートを書けといったような課題でも出されたのかしらんと推測する。
たまたま彼女たちの近くに座ったので、失礼ながら聞こえてくる会話に耳をすましていると、はたして授業の一環らしく、先生(男性か)もどこか別の場所に座っているらしい。先生の服装がどうこうと、ピーチクパーチク批評をしているあたりいかにも女子大生らしい。道理で。でも授業で川島雄三作品を観るというのも洒落ていて羨ましい。
さて映画は、南米帰りのヤクザ(森繁)が、つぶれかかった組を兄弟分(フランキー堺桂小金治)らと建て直そうとするが、高速道路開発で利権を得ようとするライバルの組(有島一郎が組長、息子がジェリー藤尾)と対立し…というのが大筋。森繁はセニョールセニョリータと怪しげなスペイン語を駆使するキャラクター。
プロとアマの見境がなくなり、ヤクザも政治家も役人も変わらなくなってきたという批評精神が込められているようだが、まあそんなことはどうでもいい。
帰ってきた森繁が、亡くなった総長の後妻である淡島千景に仁義を切って挨拶する口上がまず面白い。諸国方言とりまぜての長々しく流暢な台詞まわし。対する淡島の口上も艶っぽい。淡島さんは後半でも、有島一郎から襲われそうになって啖呵を切っている目の前に、好意を持っている森繁がいたことに気づいて急にシナをつくるあたりの艶っぽさに惚れ惚れする。
森繁といい、フランキー堺(本職僧侶)といい、その他出演者の西村晃桂小金治有島一郎ジェリー藤尾淡島千景・団玲子・藤間紫ら、皆楽しそうに演じているのが印象的だった。とくに西村晃さんが一番楽しそうに見えたのはわたしだけだろうか。
森繁・フランキー・淡島が、故総長の形見だという縞柄の布地から揃いのスーツを作って、並んで墓参りする場面に爆笑。ラスト、有島の組から森繁に果たし状が届く。その果たし状は料金不足の速達で郵送され、場所を教える地図まで同封されているというギャグにまた笑い。
ヤクザ映画のパロディのように、着流しで懐にドスを持って、一人指定場所の「第一台場」に向かう森繁。ところがそこに写生のための小学生集団がやってきて、一人の少女が森繁を描くので「動かないで」と文句を言われ動こうにも動けない森繁に笑わされる。
第一から第七まで、江戸湾には幕末に七つの砲台場が築造された(計画ではもっとあったらしい)が、いま残っているのは、いわゆる「お台場」にある第三台場と第六台場のみ。ほかは戦後の湾岸埋め立てなどで取り壊されてしまったのである。
第一台場もそのなかの一つで、昭和38年3月、品川埠頭埋め立てのため地中に消えたという。この映画は昭和36年公開である。映画では、森繁さんの背後に台場跡らしい石垣がちらりと見える。ただ全体的な風景は、背後に埋め立てのためなのかクレーン船などがおびただしく、工事現場のごとき殺伐とした雰囲気が漂う。第一台場消滅直前の姿を映しとどめたという『銀幕の東京』的価値が高い作品であると言うことができるだろう。
以上台場については、佐藤正夫品川台場史考』*1(理工学社、1997年)を参考にした。同書180頁には、すっかりまわりが埋め立てられ、陸地のなかに浮き出た感じの第一台場の航空写真が掲載されている。昭和35年撮影だという。ちょうどその頃ロケもされたのだろうか。
さて、そんなこんなで笑わされ、終わったときには鬱積した気分がすっかり吹き飛んでしまっていた。日々鬱憤がたまってゆく環境には閉口するほかないけれど、その気晴しのため仕事帰り川島雄三作品をスクリーンで観ることができるという環境があるから、何とか我慢できるのかもしれない。この手の映画は、大勢の人たちと一緒に笑いながら観るというのが、ひとりほくそ笑みながら観るよりずっと愉しいのであった。もっと観たい川島作品!