第70 ふたたび砧の地を

荒玉水道道路

世田谷美術館で明日までに迫っていた「ウナセラ・デイ・トーキョー」展を見るため、先日瀧口修造展を見に行ったとき(→3/27条)と同じように、祖師ヶ谷大蔵駅から歩くことにする。駅前にブックオフはあるし、南に伸びる祖師谷南商店街に古本屋もあるし、これらの店に立ち寄りながら、美術館のある砧公園までぶらぶら歩こうという魂胆であった。
計画どおり、ブックオフ祖師ヶ谷大蔵駅前店と、商店街の通りから横丁を少し入ったところにあるツヅキ堂書店に入る。先日は古本屋があるという心の準備もお金の準備もなく、多少慌て気味で見て回ったけれども、今度は余裕をもって棚を眺めることができた。ツヅキ堂書店というお店は、安いし質も高く、訪れる価値のある古本屋だ。
さらに今回は、先日訪れたときには開いていなかった商店街の通り沿いにある文成堂書店という古本屋が店を開けていた。間口が狭く、両側と真ん中に棚があり、そこにあらゆるジャンルの本が並んでいるという、昔ながらの古本屋で、しかも棚の前には紐で括られた未整理の本がうずたかく積み上げられており、棚の下のほうが見えなくなっている。
先日はこの商店街の通りをそのまま日大商学部のあたりまで南下した。今日はこれとは別のルートを歩こうと、事前に地図を眺めていたところ、北東から南西方向に斜めにまっすぐ伸びる道路がすぐ近くを走っていることに気づいた。「荒玉水道道路」という名称が付けられている。
この名前にピンと来た。さっそく泉麻人さんの『東京自転車日記』*1新潮文庫)を調べてみると、わたしの記憶に間違いはなかった。この本のなかで泉さんは、荒玉水道道路をサイクリングしているのである。
同書によればこの道路は多摩川の砧上浄水場から取り入れた水を、世田谷、杉並、中野一帯の家庭に供給するためのパイプ」の上を走っており、終点は江古田の野方給水塔であるという。写真でははっきりわからないが、車一台分程度の幅の道が、まっすぐ通って眺めがいい。
ここから少し南に下ると、砧スタジオがある。おお、ここがあの砧スタジオなのかと、ミーハーなわたしは、ちょっぴりどころか大いに感動する。砧スタジオを過ぎると、都立大蔵病院の建物が見え、世田谷通りに出る。このあたりでお昼なので、先日食べたラーメン屋で、今日も昼を食べようと世田谷通りを歩いた。
ところがラーメン屋が見あたらない。気づかずとおりすぎたのか。顔を少し上に向けると、ラーメン屋の看板が見えたのでそこを目指したところ、呆然。そのラーメン屋は潰れてしまっていた。つい2ヶ月前まで営業していたのに、もう閉店したとは。結構美味しかったのに。東京の店は変転めまぐるしい。
仕方ないので昼を食べずに美術館に行くことにした。めあての「ウナセラ・デイ・トーキョー」展は、桑原甲子雄荒木経惟・師岡宏次・濱谷浩・高梨豊・平嶋彰彦・宮本隆司という著名な写真家7人が東京の町や人を撮った写真の展覧会である。
写真がボール紙の台紙に画鋲で止められていたり、波型のプラスチック板で空間が仕切られていたり、腰掛けがポリバケツを裏返した上に座布団を置いたものだったり、展示空間も工夫された楽しい展覧会だった。
まず入ってすぐの師岡宏次のブースでいきなり先制パンチを喰らった。戦前から戦後にかけての銀座や日本橋の町並みの素晴らしさ。ため息をつきながら、路地のように狭い空間に展示された写真に見入る。銀座松坂屋あたりから四丁目交差点を撮った焼け野原の銀座のパノラマ写真が印象深い。和光と銀座三越がかろうじて焼け残り、右端に歌舞伎座の建物も確認できる。
アラーキーの写真は、どれを見てもアラーキーの写真というほかないという雰囲気が濃厚にただようものばかりで、被写体の選び方、切り取り方、捉え方、これらすべてが一体となって一人の写真家の芸術なのだということがわかる。素人が同じカメラで同じ場面を撮っても、たぶん違うのだろう。不思議なものだ。
最初に師岡、真ん中で荒木、そして最後に桑原甲子雄の作品でとどめを刺される。まいりました。もしタイムマシンがあるのなら、桑原が『東京昭和十一年』にまとめているような、そして師岡が撮ったような、1930年代の東京に行ってみたい。銀座通りの真ん中を走る都電の軌道まわりに敷かれた石畳の上に立ってみたい。
世田谷美術館からバスで小田急千歳船橋駅に出た。先日はここから電車に乗って帰ったが、今日は少し余裕があるので、一駅分歩くことにした。隣は経堂の町である。経堂には行きたい古本屋があった。植草甚一さんゆかりの遠藤書店だ*2
経堂駅から南に伸びる「農大通り商店街」は活気にあふれており、好ましい。その遠藤書店に入って本を物色していたとき、豆腐屋が昔ながらのラッパを吹きながら店の前を通り過ぎていった。たまらない。
さて商店街を南から入ると、遠藤書店の手前に大河堂書店という古本屋があった。遠藤書店もこの大河堂書店も、野村宏平『ミステリーファンのための古書店ガイド』*3光文社文庫)に紹介されている(ということを帰宅後知った)。個人的には遠藤書店より大河堂書店のほうが好みの本が多い。絶版文庫もそれほど高く値付けされていない。
大河堂書店では、前々から探していた本を見つけたのだけれど、3000円を超える値段だったため、泣く泣く見送る。いずれまた出会うこともあるだろう。あるいは、懐が暖かくなったおりにでも、また経堂の町を訪れることにしよう。

*1:ISBN:4101076251

*2:このあたりは、沢木耕太郎さんの「ぼくも散歩と古本が好き」(新潮文庫『バーボン・ストリート』所収)参照。

*3:ISBN:4334738214