画期としての明治30年代

〈読書国民〉の誕生

永嶺重敏さんの新著『〈読書国民〉の誕生―明治30年代の活字メディアと読書文化』*1日本エディタースクール出版部)を読み終えた。本書の書評(いや「書評のような感想」にすぎないが)はしかるべき場所に書く予定になっているのでそちらに譲り*2、ここではその余滴ともいうべきメモを書きとめておきたい。
ただいちおう本書の論旨は紹介しなければならないだろう。本書は「近世的読書の世界から近代活字メディアを基盤とする読書世界へと決定的に移行していく」時期を明治30年代と見定め、その結果誕生した「新聞や雑誌や小説等の活字メディアを日常的に読む習慣を身につけた国民」(以上「まえがき」)を〈読書国民〉と名づける。
鉄道網の拡大による出版流通の発達とその結果としての「全国読書圏」の誕生(第一章)、出版社・新聞社主導の通信制図書館・読書会事業といった地方読者支援活動(第二章)、車中読書習慣の成立(第三章)、「旅中無聊」を慰めるために駅・列車中・ホテルなどに設けられた図書室など「読書装置」の誕生(第四章)、官による上からの「読書装置」の設置としての新聞縦覧所・公共図書館(第五章・第六章)など、さまざまな観点から近代読書史における明治30年代の画期性について論じられている。
明治30年代といえば、20世紀に入った1901年が明治34年にあたるから、いまから約百年前のこと。日清戦争明治27年(1894)、日露戦争明治37年(1904)の出来事で、明治国家は欧米列強に肩を並べるべく富国強兵政策を推進し、ようやくそれがある程度の水準まで達したところと見てよいだろうか。富国強兵という側面だけでなくとも、明治国家が成立して30年が過ぎ、政治的にも社会的にも、また文化的にも一定の“近代化”が成し遂げられ、一般に浸透した時期でもあろう。この地点に〈読書国民〉の誕生を発見された永嶺さんの視点は炯眼といえる。
本書を読んでいると“画期としての明治30年代”という意識を植えつけられる。たまたまいま読んでいる(4/3条でも触れたが、まだ読んでいる)阿川弘之さんの『食味風々録』*3新潮文庫)には、明治34年、イギリスで食べたビーフシチューの味が忘れられない東郷平八郎によって肉じゃがが考案されたとあり(「かいぐん」)、また、維新後欧米からもたらされた料理メンチカツやハヤシライス、コロッケなどが現在のような「なつかしの日本の味」と化したのは明治34年あたりではないかと推測されている(「福沢諭吉と鰹節」)。平たくいえば、洋食がようやく日本人の口に馴染み、改良が加えられ洋食風和食が誕生するまで三十数年の時間を要したわけだ。
以上は寓目を得た“画期としての明治30年代”だが、書棚をあらためて見まわせば、たとえば松山巌さんの『世紀末の一年―一九〇〇年ジャパン』*4(朝日選書)がある。19世紀最後の年である1900年(明治33)一年間の社会・風俗を、正岡子規を中心に日録風に切り取ったユニークな本だが、四月の一章は「鉄道」と題され、ここでもこの時期鉄道網が急速に普及したことが触れられている。七月は「マス・メディア」と題され、新聞の拡販競争や新聞を利用した広告合戦など、やはりシンクロした記述を見つけて思わず読みふける。
また、「明治国家と芸能近代化」という副題のつけられた倉田喜弘さんの『芸能の文明開化』*5平凡社)を見ると、伝統芸能・大衆芸能は日露戦争後という一拍遅れたかたちで演劇改良という“近代化”が始まったらしい。
かくして永嶺さんの本によって意識された“画期としての明治30年代”が、これまで書棚に眠っていたいろいろな本を呼び起こし、結びつけた。読書の愉しみここにあり、である。
私は永嶺さんと4年間同じ職場で働くという幸運に恵まれたものの、生来の人見知りで個人的な会話をほとんど交わせないまま、この四月から永嶺さんが別の部署に異動されてしまったのは痛恨の一事に尽きる。はたで永嶺さんの多忙な公務を拝見しながら、どこにこうした本を書く余裕があるのだろうと訝っていたのだけれど、「あとがき」を見て土日の休日をさいて国会図書館都立中央図書館での資料調査に精励されていたことを知った。時間を無駄に浪費するわが身を省みて恥じ入り、永嶺さんのご努力に心より敬意を表したい。