本を読み、映画を観る

〈声〉の国民国家・日本

兵藤裕己さんの『〈声〉の国民国家・日本』*1NHKブックス)を読み終えた。本書は浪花節という口承芸能が日本における近代国民国家形成に果たした役割を考察するものである。
兵藤さんによれば、近代日本の国民国家の形成から解体に至る明治20年代から昭和20年までの60年間は、そっくり浪花節が日本中に流行した時期に重なるという。浪花節というオーラルな芸能は、仇討物や侠客物を得意とし、爆発的な人気を得た。
そこで語られる忠君愛国、義理人情といった、いわゆる「浪花節的心性」は、それを通じて天皇とその「赤子」としての国民という直接的な結びつきを生み出し、国民の平等幻想を植え付けることになる。

浪花節のメロディアスな声が、地域や階級による差異・差別をいっきょに解消して、あるナイーブな「国民」精神の共同体をつくりだすのである。(233頁)
浪花節的心性は、政治からとりのこされ、既存の秩序や体制に不満をもつ国民を結集する核となり、それが「君側の奸」を排除するテロリズムを生み出し、日本型ファシズムの感性を醸成していったという。近代日本の「国民国家」を作って力あったのは、ロジカルに組み立てられた家父長制的法制度などではなく、浪花節という「声の文学」だったわけである。
もちろん浪花節を演じる側が主体的にそうした動きを組織し、策動していたわけではない。本書では浪花節の源流を江戸時代に生まれたチョンガレや歌祭文まで遡って検討し、これらが貧民窟のなかで生まれ、また大道芸として発展してきたことを明らかにしながら、浪花節が庶民に受け入れられる過程を跡づけている。
浪花節の立役者といえば、明治40年代に爆発的な人気を得た桃中軒雲右衛門であり、本書でも彼の出自や芸の特質について多くの紙数が割かれている。興味深かったのは、雲右衛門のパトロンとして彼を支えていたのは九州の右翼結社玄洋社であるという指摘だ。頭山満らが起こした国家主義団体である玄洋社と、祭文語りの息子である雲右衛門の結びつき。
彼らは北九州の炭鉱労働者や港湾労働者などの下層労働者と深いつながりを持ち、労働者を組織することで国家主義的運動の実現を模索していた。雲右衛門が九州に下ったとき、職工らを大量動員して興行をバックアップしたという。
九州、玄洋社といえば杉山茂丸杉山茂丸といえば、その子息夢野久作夢野久作の代表作『ドグラ・マグラ』のなかに織り込まれている「キチガイ地獄外道祭文」という、「スチャラカパカポコ」という擬音が印象的なテキストの由来が、雲右衛門の浪花節を介してうっすらと見えてきたような気がする。
せっかく雲右衛門(の浪花節)に興味を持ったのだからと、成瀬巳喜男監督の戦前の作品「桃中軒雲右衛門」を観ることにした。兵藤さんによれば、雲右衛門は明治36年から4年近く九州博多を中心に活動し(この背後に玄洋社がいたわけだ)、そこで独自の芸風を確立して明治40年(1907)6月に上京、東京の本郷座を一ヶ月にわたり満員札止めにしたという。
この作品はちょうど九州から東京に乗り込んでこようという時期の雲右衛門を描いたものとなっている。だから明治40年のこととなろうか。名声を博し芸人としての地位を確立したゆえにモラルを求められ、それまでの「芸のためなら女房も泣かす」的な芸本位の生活との矛盾に悩み抜く、雲右衛門の人間としての葛藤が描かれた芸道物だ。
主演で雲右衛門を演じる月形龍之介は、同時代の時代劇スター阪東妻三郎片岡千恵蔵嵐寛寿郎のようないかにも時代劇に合う大時代な顔貌とは違い、すこぶる現代的で精悍なマスクを持った役者だと感じる。いまでも通用しそうである(三上博史風)。兵藤さんの本に掲載されている肖像写真を見ると、現実の雲右衛門は、むしろ総髪が不似合いなほどハンサムな優男といった風情であるが、いい男という意味では共通するものがある。
映画の中で、おそらく本郷座がモデルとおぼしき小屋で浪花節を語るシーンが映されるが、口跡は本物の雲右衛門の声が使われているとおぼしく、その嫋々たる語りにしばし陶然とさせられる。すでにこのときから藤原釜足は老け役を演じ、細川ちか子は美しく、三島雅夫は痩せている。小沢栄(太郎)は官吏風を吹かせて雲右衛門に浪花節を一席語らせようとする嫌味な男で、これまたこの頃からこんな憎まれ役が似合っていたのかと嬉しくなった。
たまには、このように書物と映画のコラボレーションを愉しんで目先を変えよう。