放水路のある風景
仙台(東北地方)に住んでいたころ、上京のため新幹線に乗っていて「東京に来たなあ」という心もちになったのは荒川に架かる鉄橋を越えたときである。現在東北から戻ってくるときも心境はそう変わらない。現実的にも荒川は埼玉県と東京都の境界である。その荒川をいまでは毎日のように電車で渡っている。私は東京都の東の端に住んでいるので、朝晩荒川の鉄橋を渡るのである。帰りに荒川を渡るとき、「もうすぐ家だ」と安心する。朝、通勤のため荒川を渡るときには、冬の晴れた日など西方に富士山が見えることがあるので、一瞬気持ちが晴れやかになる。荒川はさまざまな気持ちの境界線でもある。
この荒川がもとは「荒川放水路」と呼ばれ人工の水路として作られたことは、たぶん川本三郎さんのエッセイで知ったことだったと思う。川本さんも幾度となくその文章中で書かれているが、いまや荒川はもともと自然の河川である隅田川よりずっと自然に見える。
葛飾区郷土と天文の博物館と荒川知水資料館の共催で開催中の「川の手 放水路のある風景」という展覧会が8日までなので行ってきた。心身の余裕が生じたので行こうと思い立ち、今朝郷土と天文の博物館サイトで調べていたら、何たる偶然、本日「荒川放水路の
職場に掲示してあった同展のポスターがずっと気にかかっていた。三船敏郎・山田五十鈴主演の東宝映画「下町」のスチール写真に惹かれたのだ。もとよりこの映画の写真は川本三郎さんの『映画の昭和雑貨店』*1(小学館)で目にしていた。そこに写っている山田五十鈴の笑顔がすこぶる印象的なのである。私の好みのタイプ。山田五十鈴綺麗だなあ、と。「下町」は荒川沿いの四ツ木の町が舞台だという。そんな映画までフォローしている展覧会ならば行ってみたいと思わせた。
展覧会は放水路開削の図面や写真など興味深い資料が展示されていたが、やはり一番惹かれたのは「動かされた文化財」「描写された放水路」というコーナーである。前者では、開削のため移動させられた寺院や分断された古道の地図と写真、開削で逆に発掘された土器などが展示されていた。後者は、荷風の『断腸亭日乗』や川瀬巴水・藤森静雄らの版画作品は残念ながら写真だったものの、滝田ゆうさんの画文集『昭和夢草紙』*2(新潮文庫)の原画を見ることができた。また前記「下町」のほか「綴方教室」「渡り鳥いつ帰る」「下町の太陽」「東京物語」の映画から、「三年B組金八先生」までのスチール写真、キャプチャー映像なども並んでいる。
さて鈴木博之さんの講演である。鈴木さんには『東京の
ことほどさように鈴木さんといえば「地霊」であるのだが、何でもかんでも「地霊」では本人も大変なのではあるまいか。今回のテーマも「荒川放水路と〈地霊〉」であったが、これまでの「地霊」論の延長線上に放水路の土地の来歴を述べるという私の期待していた方向の話というより、荒川放水路の歴史的・社会的特性(治水・水運・工業・水道・文化)を整理するというたぐいの話だった。いわゆる「社会」の授業を聴いているような感じ。やはり荒川放水路における「地霊」の力は極小なのかもしれない。
荒川を境に、その外側を「川向こう」と呼んで差別するような意識があるとすれば、こうした意識を生み出す力が「地霊」かもしれないのだが。