『銀幕の東京』マジック2

その男の職業、刑事

東京湾」(1962年、松竹大船)
監督野村芳太郎/企画佐田啓二/脚本松山善三・多賀祥介/西村晃/石崎二郎/玉川伊佐男/榊ひろみ/葵京子/織田政雄/三井弘次/浜村純/佐藤慶加藤嘉/上田吉二郎/細川俊夫/高橋とよ

川本三郎『銀幕の東京』*1中公新書)の第一部「東京の映画」で取り上げられたのは、都市東京を描くことにも意が注がれた13作品だった。「東京物語」「流れる」「洲崎パラダイス 赤信号」「渡り鳥いつ帰る」「下町の太陽」「東京湾」「煙突の見える場所」「早春」「銀座化粧」「銀座二十四帖」「秋立ちぬ」「如何なる星の下に」「銀座の恋の物語」である。
このうち、以前から観たいと念願していた「東京湾」をとうとう観ることができて嬉しい。以前『ミステリと東京』刊行記念講演会で、川本さんに対し東京を舞台にしたミステリ映画でお薦めは何かと質問したら、この作品を挙げられたのである(→2007/11/12条)。
これを今回観たことにより、上記13本のうち未見は「早春」「銀座の恋の物語」2本となった。マジック2。しかもこの二つはいずれもDVDなどで持っているため、観ようと思えばいつでも観ることができる(えてしてそういうものほど…という懸念はあるが)。ほとんど“優勝目前”というわけである。
さて、この「東京湾」、川本さんが推薦するだけあって、最後まで画面に目を釘付けにさせる傑作だった。おとり捜査のため麻薬組織に忍び込み、運び屋をやっていた浜村純が、麻薬を運ぶため日本橋のあたりで車に乗り待機していたところ、何者かに狙撃され死んでしまう。日本橋というのは、狙撃場所を推定するなかで高島屋が出てくるからわかる。
もっとも浜村純が麻薬取調官だというのは、物語がもう少し進んでから明らかになること。被害者の身元調査を命ぜられたのが、入社第一回作品という新人の石崎二郎。この俳優さんは「東京湾」のほかに出演作品がないようだが、その後どうなったのかしらん。
石崎は警視庁捜査一課付なのだろうか。上司(細川俊夫と織田政雄)から、築地署のベテラン刑事西村晃と一緒に捜査するよう命ぜられる。この二人は「悪縁」(西村の発言)があって、西村の妹と石崎が付き合っていたのを、西村が強く反対していた。
なぜ西村が反対するかというと、石崎は将来有望の優秀な刑事であるため、仕事に熱中するあまり友情より犯人逮捕を選んでしまう非情な人間になる、そんな男に妹はやれないというのである。
「友情より犯人逮捕を選んでしまう」というのは、すなわち自分のことを重ねている。捜査の過程で、狙撃犯がかつて命を救ってくれた戦友玉川伊佐男であることがわかったからである。
タイトルが「東京湾」というわりに、舞台は立石や荒川に架かる西新井橋(北千住から4号線で荒川を渡る千住新橋のひとつ西。映画当時は木橋!)が主な舞台となる。川本さんは「日本映画で立石のような東のはずれの町が登場するのは珍しい。それだけでもこの映画は一見に値する」(75頁、太字原文傍点)と、『銀幕の東京』屈指の評言を書いている。
川本さんは上記引用文の直前に、「従来、麻薬の取引が行なわれていたのは、新宿、渋谷、池袋ですが、最近になって、東京の東、千住、立石、小岩でも行なわれるようになってきました」という台詞に注目している。
しかしわたしは聞き逃さなかった。説明する刑事は、新宿・渋谷・池袋を「山手地区」と呼び、「千住・立石・小岩」を「下町」と呼んだ。この昭和37年の時点で、立石や小岩が「下町」なのだなあと印象に残った台詞だったのである。
互いに命の恩人であるような戦友が、刑事と犯人になって再会する。刑事はそうした過去を捨て、犯人逮捕を優先させる非情な選択をする。物語はここでぐんと深まりを見せるし、それぞれを演じる西村晃玉川伊佐男の名演により、物語は一気に緊迫感を含む。
郷里の尾道に逃げようと、横浜から最終列車に飛び乗った玉川と、その列車で待ちかまえていた西村のラストの格闘が壮絶すぎる。これほど息づまる格闘場面はそう他にない。
玉川には守るべき人があった。西新井橋のたもとで営む貸しボート屋で待つ妻(葵京子)である。玉川の妻は、記憶障害の病を抱えているらしく、直前のことをすぐ忘れてしまう。玉川は彼女を愛おしむ。この点もまた物語に深みを加える。
東京湾」というタイトルは、彼女が玉川を待つ西村に語った言葉のなかに出てくる。結婚したとき、ボートで荒川を下り、東京湾に出た。一面のきれいな海。しかし玉川は、郷里の尾道の海のほうがずっときれいだ、いつか連れて行ってやると言った。玉川の境遇を知らないイノセントな雰囲気の葵京子はにこやかに、明るい未来を語るのである。
木村弁護士的に言えば、最初の現場検証で狙撃場所が特定され、それが左利きだとわかる経緯があまりにあっさりしすぎる。こんなことで断定していいの?と思ってしまうが、まあいいだろう。
被害者の遺体が安置されている畳敷きの大部屋で、捜査に携わった刑事たちが布団を敷いて仮眠をする。つまり遺体と一緒に眠るということに驚いてしまう。もちろん亡くなった人の通夜ではそういうことがありうるから、変わったことではないけれど、実際そんな状況だったのだろうか。