坊っちゃん+三四郎

夢の砦

年末年始の課題図書として実家に携えていったのは、小林信彦さんの『夢の砦』*1(新潮社)だった。文庫版でなく元版のほう。元版は数年前山形のブックオフで100円で見つけたもので、その後上下二分冊の文庫版も入手していた。だから、この機会に元版で読み、読み終えたらそのまま実家に置いてゆこうと目論んでいたのだった。
なにせ570頁二段組の大冊である。山形にはこの本のほかにも何冊かリュックに詰め込んでいたが、そこまで手をつけられるかどうか、読みながら失敗したかと感じていた。ところがやはりいつもの杞憂で、読み始めたら面白く、とりわけ最後のほうになるとドライブ感が増幅し一気に最後までたどり着いてしまったのである。
読み始めてまず気づいたのは、本書が漱石の「坊っちゃん」を意識しているということ。ミステリ雑誌『黒猫』を出している小出版社に勤め始めた主人公前野辰夫は、会社で出会う同僚たちにまずあだ名をつける。「奴凧」「代貸」「ゴム仮面」「火吹き竹女史」など。丸谷才一さん曰く日本の“あだ名文化”の嚆矢となった「坊っちゃん」の趣向をしっかり踏まえている。
この元版には折込8頁の月報のようなリーフレットが付いており、「〈談話〉小説における風俗の復権―『夢の砦』をめぐって―」という著者の創作裏話が収められている。読後めくってみると、著者自身の口から「坊っちゃん」を念頭において書かれたと語られており、納得した。

大それた言い方をすれば漱石の『坊っちゃん』の現代版を書きたいということでした。〝坊っちゃん〟みたいな無鉄砲な男が小さな会社に入り、最後には癇癪を起して、やめてしまう――というよりも、人間関係が煩わしくなって地位を放り出してしまう。東京の下町人のそういう気質を二百枚か二百五十枚でまとめようと思っていました。
このうち主人公の敵役となる「ゴム仮面」のどうにも性格の悪く、読者のわたしたちですら苛立つような人物造型は素晴らしい。先日読んだ『本は寝ころんで』で小林さんは、ハイスミス作品の良さのひとつに気味の悪い人物を造型する点をあげておられたが、本書にもまさにあてはまる。
上記談話で、小林さんが「坊っちゃん」とならび念頭においていたと語る漱石の小説に「三四郎」がある。「三四郎」が明治東京の風俗を事細かに描きこんだことを評価し、『夢の砦』を「現代史の一部として、時代の風俗をしっかりと書きたいという気持ち」で書いたと述べている。
風俗描写の具体例として小林さんがあげたのは第十八章「猶予のとき」である。ここでは、主人公が「東京っ子」「都会っこ」「山の手と下町」を知りたいという職場の後輩の女性を、当時の(現在もか)下町の代表と目されていた浅草や、主人公が下町の典型と考える人形町界隈を連れ歩くくだりがある。この部分は小林さんによる見事な「都市東京講義」「下町講義」となっていて読み応えがあった。
田舎出の人間が東京のような大都市に対して抱く未来都市的な像をはっきりと否定し、「人口一千万の大都市といえども、所詮は生活の場なのだ。それを認識しておいてほしい」と諭す。主人公=著者の東京論はこの「生活」という視点を土台に組み立てられている。
また下町の特徴として、「伝統を守る一面と、こんなアーケードを作る軽薄すれすれの新しがり」という二つの相反する顔が同居している点を指摘する。それを具体的に示すのが「下町にしかない洋食屋ってやつ」で、たしかに地方都市から東京に出てきた私にとって、人形町にあるような「洋食屋」は新鮮だったから、このあたりの下町講義は、小説を離れてとても面白かった。
学生の頃だから十数年前、同じ研究室の先輩からこの本を薦められた記憶がなぜか強く残っている。当時の私は小林信彦ファンというわけではなかったが、ミステリファンだったから、「キミもきっと面白く読めると思うよ」と薦められたのだった。この先輩は私とは逆にミステリファンでもなく小林信彦ファンでもないはず。学生運動などに興味を持っていた方だから、たぶん60年代風俗への関心が本書を読ませたのではあるまいか。
当時の私は先輩のアドバイスを柳に風と聞き流し、読まなかった。いま読んでみると、当時読んでもこの本の面白さはわからなかったかもしれない。小林さんの本やエッセイをある程度読み、東京に移り住んだ今だからこそ楽しく読めたということがあるような気がするからだ。どんでん返しも鮮やかで、それに至る伏線も巧妙に張られており、やはり小説を読む愉しさも味わうことができた。
本書の主人公は20代後半から30歳になろうとする年齢であった。悪く言えば、それにしては若々しくない。「坊っちゃん」のように無鉄砲ではあるけれど、そんな自分の性格やそれに基づく行動を冷静に分析する客観的な目を持ち合わせている。老成しているのだ。
このところあまり間をおかず小林さんの自伝的な、もしくは自伝的要素を含んだ小説を何篇か読む機会があったが、これらをふりかえってみれば、主人公の年齢が何歳に設定されようと、さほどイメージが変わらないような気がする。だからといってどの小説を読んでも同じで退屈してくるわけではない。そのあたりが小林信彦作品の特徴なのだろう。