異郷・異国としての山の手/下町

懐かしい「東京」を歩く

ふだんあまりチェックすることのないPHP文庫新刊棚をたまたま見ていたら、ある1冊の本のカバー表紙に目がとまり、あっ、と思った。その本とは、森本哲郎さんの『懐かしい「東京」を歩く』*1。手に取り確認してみると、案の定予想は当たった。
というのも、本書の元版『ぼくの東京夢華録』*2(新潮社)は以前古本で購入しており、読もうと思いつつそのままになっていたからだ。これをちょうどいい契機として読もうと思い、文庫版を購入することにした。
元版は、谷内六郎描くところの、町工場の間の道を市電が走る幻想的でノスタルジックな絵があしらわれたものであったが(装幀は新潮社装幀室)、文庫版は磯田和一さんによる、独特な線描と淡い色づかいが素敵な町並の絵で、渋谷の「名曲喫茶のある通り」というタイトルが添えられている(装幀は安彦勝博氏)。どうりで目がとまったわけである。
日吉村昭さんの『東京の下町』を読み、都筑道夫『推理作家の出来るまで』を読んでいるのに、同じ色合いの本を読んでしまったと書いたけれど(→6/22条)、それに懲りず、また似たような少年時代東京懐古の本に手をつけてしまう。もっとも出会いが出会いだから、致し方なかろう。
森本さんの生年は大正14年(1925)。吉村・都筑両氏よりちょっと年長で、三島由紀夫山口瞳と同年生まれだ。巣鴨に生まれ、直後中野に転居、以来70年(元版刊行が1995年のため)、ずっと東京西郊に暮らしているという。だから、本書で触れられている町も、巣鴨、染井、大塚、渋谷、中野、新宿、杉並など、西側に多い。
元版の書名の典拠となっているのは、かつて殷賑を極めた北宋の都べん京(西の都洛陽に対置し東京と呼ばれたという)での暮らしを懐旧的に綴った孟元老の著『東京夢華録』で、森本さんはこれにならい、少年時代の懐かしい東京の姿や日々の暮らしを書きついだ。
わたしは森本さんのほかの本を読んだことがないから、文章の性質をよく知らないのだけれど、元新聞記者らしいと言えるのだろうか。昔の東京に対する思いが強いあまり、現在の東京に対する激烈な批判が展開されている。
川を高速道路で塞いでしまったことへの批判、コンクリート・ジャングルへの批判、電柱・電線が張りめぐらされた景観への批判、すべて正論なのだが、あまりに批判が真っ正直で、読むこちらもたじろぎ、つい距離を置きそうになる。
これは悪い意味ではないが、たとえば小林信彦さんのように、意地悪く、嫌味に、毒を含んだ書き方での批判のほうが、わたしは楽しめる。小林さんの場合小説家だから、このテーマを『ドリーム・ハウス』や『ムーン・リヴァーの向こう側』といったかたちで、文学的オブラートに包みながら、しかしながら実は鋭く現代東京を批判するようなしなやかさが好きだ。
小林信彦さんが出てきたからついでに言えば、東京の東側、下町両国生まれの小林さんの文章と、西側山の手生まれの森本さんの文章を対比するのも面白い。たとえば小林さんは『私説東京放浪記』*3ちくま文庫)のなかで、戦前における下町と山の手の距離感について、「〈遠くに行く〉という実感が」あったとし、

一九三九年(昭和十四年)の九月には、渋谷―浅草間の地下鉄が開通するのだが、それでも〈山の手〉と〈下町〉は遠かった。お互いに相手を〈異国〉と見ていたせいだろう。(20頁)
と書いている。このテーマは『ムーン・リヴァーの向こう側』でも、登場人物の口を介して語られている(→1/25条)。
では逆に山の手側の森本さんは下町に対してどう感じていたのか。「深川の一夜」と題された一章のなかで、両親に連れられ銀座まで行く機会はあったものの、「それから何年たっても、隅田川の東、いわゆる〝川向う〟は依然として〝異郷〟でありつづけた」とある。小林さんの立場と正反対ながら、表現がほぼ同じであるのが面白い。
「川向う」の地に対するある種の憧れをもっていた中学一年の森本少年は、ある日、深川に住む友人の家に泊まりがけで遊びに行くチャンスを得た。初めての深川体験はこういうものだった。
―S君の家についたとき、ぼくは町の風景、というより雰囲気が、東京の西郊と、あまりにちがっているのにびっくりした。というより、遠い昔の世に連れもどされたような気がした。古い街並みのなかでも、ひときわ古びた庇の長い町家、ぴかぴかに磨き込まれた上り框、暗い部屋々々、時代がかった調度……それは山ノ手の新興住宅とは、およそ、かけ離れた世界、まるで、時代劇の舞台そのものだったからである。(244頁)
こうした差異が、実際の街並みにおいても、住む人の感覚においても、いまや完全になくなったとまでは言えないかもしれない。少なくとも、山の手の人間でも下町の人間でもない、東北の田舎育ちのわたしに判断を下す資格はない。
ただ、かつてはこんなはっきりとした区別が東京にはたしかに存在し、いまなおそんな心理的感覚を持っているかもしれない人々がいて、ひょっとしたら空間的にも微妙な差異を読み取ることができるかもしれない…。どちらにも属しない人間だからこそ、双方の立場を忖度しながらいまの東京に向きあい、過去の東京を「懐かしむ」ことを愉しむしかないだろう。