中間小説時評読みくらべ

小説は電車で読もう

植草甚一スクラップ・ブック』(晶文社)の全巻復刊が進行中だが、まったく買っていない。第39巻『植草甚一日記』は古本ですでに持っている。移転前の綾瀬デカダン文庫で買ったのだった。第8巻『江戸川乱歩と私』は学生時代からずっと興味を持っているのだが、いまだ入手していない。
その人となりに関心がないわけではないものの、本を手に取り眺めたとき、そこから立ちのぼる植草甚一的雑学の肌合いが、わたしの好みにあまり合わないような気がするのだ。
ただそのなかでも「これは買いたいな」と思わせる一冊があって、それが今回発売された第32巻『小説は電車で読もう』*1だった。植草さんが『東京新聞』に1971年から73年の足かけ3年にわたり連載した中間小説時評をまとめたものである。
この手の中間小説時評となると思い出すのは、吉田健一の『大衆文学時評』である(集英社版『吉田健一著作集』第15巻)。こちらは1961年から65年にかけての時評で、植草さんのものより少し前の時期になる。
植草さんは、送られてくる中間小説誌(『オール讀物』『小説新潮』『小説現代』など)をまずバラし、小説のページだけを切りとって、各篇ごとにホチキスで止める作業から始める。
こうして集まった小説は毎月百篇前後にのぼり、原稿用紙に換算すると数千枚という分量になる。これらを猛スピードで読みつづけ、○×の取捨をし、合格ラインに達した作品のみがここで紹介されることになる。
毎月百篇近くも読んでいると、合格ラインに達する顔ぶれはだんだん固定化してきて、次第に書くことがなくなってくる。書きあぐねると苦し紛れに海外小説評や洋画評、ジャズ評などへと逃げ込む。小説を読むこと自体に息苦しさを感じたら、気分転換のため外出し電車に乗って読み、降りた町の喫茶店に飛び込んでさらに読みつぐ。
いま「苦し紛れ」「逃げ込む」などという表現を使ってしまったが、これは、中間小説時評が単調なものにおちいらないための、植草さん独特の安全弁なのだろう。そして植草ファンであれば、こうした脱線の部分に期待するのに違いない。逆にわたしは、禁欲的に植草さんの中間小説評ばかりを読みたいというタイプなのだ。
本時評によく取り上げられる、つまり植草さんの贔屓は、アトランダムにあげれば、藤原審爾田中小実昌野坂昭如筒井康隆山田風太郎池波正太郎井上ひさし佐野洋都筑道夫早乙女貢岡本好古佐藤愛子伊藤桂一藤沢周平小松左京吉村昭といったあたりか。とりわけ山田風太郎池波正太郎野坂昭如各氏の小説はたいがい絶賛される。
このメンツを吉田健一『大衆文学時評』とくらべてみるのも面白い。池波、藤沢、佐野、小松あたりが重複する。それと、両方に高い評価を得ている伊藤桂一がいよいよ気になってきた。吉田健一の好みにあわなかったらしい山田風太郎が、植草さん好みであるのも興味深い。そういえば植草評には司馬遼太郎はまったく入っていなかったような気がするが、どうなのだろう*2
筒井康隆作品は、『家族八景』に収められる「七瀬物」の評価が高い。なるほど新潮文庫版で植草さんが解説を書いているのは、こういう因縁があったからか。もっとも筒井さんによる本書解説によれば、「この時期に書いたドタバタ代表作はあっさり無視」されたらしい。植草さんにとって、ドタバタは×なのだ。
都筑道夫作品については、『キリオン・スレイの生活と推理』『七十五羽の烏』『退職刑事』が取り上げられている。前二者にはけっこう紙幅が費やされ、『退職刑事』は「ビックリするほど見事な出来ばえ」(172頁)と手ばなしでの褒めようだ。
吉村昭さんの『関東大震災』に触れ、自身の震災体験について語られているのも貴重である(あるいは第40巻『植草甚一自伝』でも語られているのかもしれない。要購入か)。15歳の甚一少年は、茅場町を走る市電のなかで地震に遭遇、青山霞町に避難し、ついで「九月五日に亀戸まで歩いて満員電車の屋根に上が」り、千葉に移ったという。亀戸に行く途中、鉄げたづたいに吾妻橋を渡ったさい、隅田川に浮かんでいた溺死体を見たときの衝撃が語られている。
結局自分も時評部分以外の文章を楽しんでいるではないか。そもそも植草さんに文芸時評は不似合いなような気がする。でも、だからこそ、植草甚一が日本のミステリや時代小説、SFなどにいかなる見識を持っていたのか、うかがうことのできる貴重な文献なのだろう。

*1:ISBN:4794925921

*2:戸板康二さんは「明治村の時計」一作のみ登場する。