藤田作品の同好者はいないか

モダン東京2 美しき屍

藤田宜永さんのハードボイルド・ミステリ『モダン東京2 美しき屍』*1小学館文庫)を読み終えた。シリーズ第1冊『モダン東京1 蒼ざめた街』を読んでから約5年が経過してしまっている(→旧読前読後2001/11/13条)。
そのときの感想にも書いたように、大きな期待を抱きこそすれ、決して見はなしたわけではなかったのだが、結局こんなに時間があいてしまった。小学館文庫に入ったシリーズ4冊、すべて購入して並んではいるのである。
私立探偵(秘密探偵)的矢健太郎を主人公に、昭和初期のモダン都市東京を舞台にしたこのシリーズは、巻末に参考文献が掲げられ、それらに基づく時代考証がしっかりしており、世相風俗の雰囲気がリアルに感じられるから、第1冊を読んだだけですぐ気に入ったのだった。
今回の第2冊は、男爵家小間使い女性の謎の失踪、その兄の殺害、男爵家に生まれながら国を憂える国士になり密事に奔る長男、アメリカかぶれになり、頽廃的な悦楽事に身を浸す長女に、兄とは正反対に「エンゲルスガール」になった次女、そんな華族の裏側が物語の中心的な流れになっている。
もろちん第1冊同様、昭和初期東京の風景が点景として挿入され、彩りを添える。謎を追跡する私立探偵が主人公だから、彼の行動を借りてモダン東京のあちこちが登場してくるのである。エロ・グロの風俗、『新青年』を読む人びとなど、小道具も効いている。
モダン都市は闇の部分を抱え、それを食いものにする職業を生み出す。代表的なのが探偵か。「探偵なんてのは、所詮、モダニズムの滓を食っているような商売じゃないのかね」「自動車の排気ガスと、ビルディングから吐き出されるゴミと、調子外れのジャズが私立探偵なんて職業を生み出したのさ」などというお洒落な台詞が出てくる。

それにしても、東京は競馬場のような街だ。武家屋敷と長屋と文化住宅とビルディングの間を、赤い馬や青い馬が走るのだ。(…)
 そして、始末の悪いことに、東京という競馬場にはゴールがない。いや、ゴールはあるのだが、ただ、各馬のゴールが違うのである。宮城をゴールにしている馬もいれば、銀座をゴールにしている馬もいるということである。馬は走ることをやめるか、走り続けて死ぬしかないようだ……。
 ゴールがあってない場所。それが都会というものかもしれない。そういう意味では、東京は立派な都会なのだ。(251頁)
この素敵な一文は本書のカバー表紙にも刷られているから、本書を代表する名文句ということになるのだろう。わたしも思わず付箋を貼りつけた。
的矢は新宿からある人物を尾行する。その人物は花園町も越え永住町に入っていった。
四谷区で唯一、木賃宿が許可されているのが、この永住町のはずだ。しかし、まさか金魔組で大きな面をしている〝ステッキの松〟が木賃宿に女としけ込むはずもない。(265頁)
今和次郎『新版大東京案内(下)』*2ちくま学芸文庫)の「東京の旅館」の章にある「木賃宿」のくだりを見ると、「警視庁令により木賃宿は左の場所に限られてゐる」として、芝区白金猿町麻布区広尾町赤坂区山北町五丁目などとともに四谷区永住町が掲げられている。『新版大東京案内』は本書の参考文献の一冊だから、そんなふうに使われていることを知るのは愉しい。ちなみに昨日の『東京の地名由来辞典』を繰ると、永住町の由来は「住吉」などと同じく嘉語らしい。
もともと藤田さんの「モダン東京」シリーズは、本書が第一作だった。集英社文庫書き下ろしとして刊行された『探偵・的矢健太郎 モダン東京物語*3がそれである。その後集英社文庫からはもう2冊出された(『モダン東京小夜曲』『墜ちたイカロス』)。
さらにそこに新作一作を加え、それをあらためて第一巻として4冊シリーズとして朝日新聞社から単行本として刊行され、その順番ですべて小学館文庫に入った。つまり最初に読んだ『モダン東京1 蒼ざめた街』が一番最後に書かれた新作なのである。わたしは集英社文庫版の『モダン東京物語』『墜ちたイカロス』は持っているが、朝日新聞社版は未所持である。
藤田宜永さんの小説は、鹿島茂さんの『解説屋稼業』*4晶文社)がきっかけで、『巴里からの遺言』(文春文庫)『壁画修復師』(新潮文庫)を読み、その都度絶賛してきた(→旧読前読後2001/8/19条・→同2001/10/6条)。『巴里からの遺言』を読んでから、一時期こうした“エトランジェ物”に取り憑かれたことがあった(→旧読前読後2001/8/24条)。
ひとり藤田作品に盛り上がってばかりで、わずかに“鹿島茂教授の仕事部屋/堀江敏幸教授のレミントン・ポータブル”の斎藤さんにご賛同いただいたほか反応は乏しく、寂しい思いをしていたけれど、先だって川本三郎さんが『東京人』の連載「ミステリーの東京」で本シリーズを取り上げてくれたのを読み(2006年2月号)、ようやく溜飲を下げたのである。ほかにこの手の(恋愛小説以外の)藤田作品を語り合える人はいないだろうか。