連句による百間作品

百鬼園百物語

東雅夫『百間怪異小品集 百鬼園百物語』*1平凡社ライブラリー)を読み終えた。
内田百間はアンソロジーに適合的な作家である。まず一篇一篇が長くない。短いながらもまとまっている。幻想的な小品からユーモアに満ちた随筆、都会の隙間にひそむ妖異から幼時の岡山という地方の土俗まで、バラエティに富んでいる。
講談社版・福武書店版の全集のほか、単行本別に文庫化された旺文社文庫版、テーマごとに再編集された福武文庫版・ちくま文庫版、幾度となくまとめられ、文庫化されている。そこでアンソロジストの東さんは一計を案じた。百物語の形式で小品集を編むということ。
方針として立てたのは次の四つ。怪異小品の趣きのある作品を、小説・随筆・日記に関係なく採録。分量は代表作「冥途」のそれを上限の目安とする(つまり無闇に長いものは避ける)。抄録はしない。連歌俳諧の付合のようにモチーフの連なりを重視して並べる。かくしてこれまでとはまったく相貌の異なる百間文集ができあがった。
散々百間作品を読んできたつもりであったが、このようにいったんばらして連句のようなつらなりであらためて読んでみると、妙に新鮮である。『冥途』『旅順入場式』収録作品がデビュー直後のものには思えないほど老練であり、日記や随筆もまた創作に負けない幻想味を湛えている。あえてバラバラに配置された『東京日記』が、都会的幻想を語る最高の小説集であることを実感した。百間の怪異を語る語り口が映画的な視点、たとえばクローズアップの手法を用いて効果を出したり、また読む者の五感を巧みに働かせるようにしむけたりしていることをいまさらながら知ったのもありがたかった。オノマトペの使い方もユニークだ。川上弘美さんの世界へと受け継がれている。
わたしは“初出一覧好き”である。こうした作品集に初出一覧があると、一篇を読むごとにその初出媒体を確かめずには済まない性分である。でも今回ばかりは巻末の初出一覧を見ることをぐっと我慢した。そうした情報を頭に入れず、ただただテーマのつながりの妙と意外性を楽しみながら読みつづけるのが、この本の愉しみ方なのだろうと感じたからだ。でも少しだけ初出一覧に注文を出せば、初出媒体・年月だけでなく、収録単行本も示してほしかった。
百物語の最後に配された『東京日記』の「その二十」はこんな出だしである。

湯島の切通しに隧道が出来て、春日町の交叉点へ抜けられると云う話なので、その穴へ這入って見たが、…(344頁)
この「隧道」はいまや都営地下鉄大江戸線として実現してしまっている。何とも恐ろしいではないか。でも百鬼園先生が描くところの「地下世界」は、たんにレールが引かれているだけではないのだが。