荷風像の価値転換

朝寝の荷風わたしが永井荷風に関心を持ちだした1980年代末頃(岩波文庫に『摘録断腸亭日乗』が入ったのが87年だからその頃だろう)、荷風という人間像をひと言で言いあらわせば、「変人」、だったように思う。現在でもそのようなイメージは払拭されずにいるかもしれない。
そして「変人」像を構成する要素のひとつとして、若い頃に結婚生活を一度経験したあとは、死ぬまで独居(独身)生活を貫いたという点をあげても、おそらく間違いにはあたるまい。もちろんこれはあくまで荷風における要素のひとつという意味で、一般的なものではない。
その後川本三郎さんや松本哉さんの精力的なお仕事もあって、荷風のひとり暮らしに注目が集まり、プラスの評価をされるようになってきた。そうした趨勢を決定づけたのが、持田叙子さんの『朝寝の荷風*1人文書院)ということになるのだろう。
現在世田谷文学館で開催中の「永井荷風のシングル・シンプルライフ」展は、持田さんが監修者となり、『朝寝の荷風』で論じられたような荷風像、荷風的ライフ・スタイルが前面に押し出されている。
実は、いま述べたような荷風像の転換にわたし自身は気づいていたわけではない。荷風的ひとり暮らしの愉しみ的な取り上げられ方を面白く読んではいても、その流れがこれまでの「変人」的な荷風の見方に対するコペルニクス的転回になっていたことは迂闊にも無自覚だった。荷風のライフ・スタイルに関心を持っても、現実の自分の生活から遠く離れた地点にあり、真似はできないと無意識に感じていたゆえだろうか。
よくよく考えれば、結婚しないことを選択する人が増え、とりわけそうした生き方を選ぶ女性に注目が集まるようになっている世の中なのだ。世間の流れのなかに、荷風が貫いた生き方を置いてみると、理想的なモデルのように思えてしまう。
かくして従来荷風にまとわりついていた「変人」イメージが取り払われ、逆に生き方の達人のような積極的評価に転じる。荷風のテキストを読み解きながら、この点をたくみに指摘した持田さんのお仕事が注目されるゆえんである。
『朝寝の荷風』では、荷風作品に見られる少女趣味的な事象が指摘される。作品のなかに可憐な少女が出てくることだけでなく、甘党であること、デパートでショッピングを楽しむこと、花々との親和的関係、自炊を愛する姿などなど。耽美、官能といったレッテルを付けて荷風作品を捉える見方は「男性的」でもう古い。
荷風作品に見えるこうした少女趣味について、持田さんは、「男でいるのがイヤダ」と荷風が思っていたのではないかと忖度する。これは身体的生物学的な拒否反応とはまた違う意味である。

結婚して妻子と家を背負い、なおかつ肩書きや名誉を得て自身の貫禄を保つことを周囲から期待されるオトコというもの。美しさやしなやかさというものなど、まったく期待されていないオトコというもの。極端なことをいえば、高収入と地位さえあれば、オトコには顔も身体も要らないのだ。(「百合の花咲くそこは―荷風の少女憧憬―」)
長男が家を継ぎ家長として全権をふるう明治国家の「家制度」に荷風は背中を向ける。家、あるいは「肩書きや名誉」という看板を身にまとう男こそが国家を支える基本要素であった戦前社会において、そこから脱出することは、極端に言えば男であることを自己否定するのにほかならない。「男でいるのがイヤダ」というのはそんな意味である。
男中心社会からドロップアウトした荷風が向かうのは、女性の世界以外になかった。荷風作品には、そんな荷風の身のこなしが少女趣味的要素として顔を見せる。この論理展開は当たり前のようでいて、これまで気づかれることがなかった。耽美、官能という言葉に隠されて見えなかった。
盛り場のレストランやデパートに出かけ消費文化を愉しむ。生産活動第一の男社会では厭うべき価値観が、逆に荷風の作品世界では積極的に肯定されている。森茉莉は自らを「女荷風」と称して荷風の生活に憧れた。林芙美子もまた荷風を尊敬し、ひとり暮らしのよりどころとした。
「ひとり暮らしの女性の部屋に、荷風は似合う」(214頁)。衝撃的とも言える指摘のように見えるけれど、現代社会の流れのなかにはめ込んでしまえば、さっぱり違和感をおぼえなくなってしまうから不思議だ。森茉莉林芙美子は、“女荷風道”の最先端を走っていたことになる。
川本三郎さんは、99年の江戸博「永井荷風と東京」展での講演会で、「荷風の講演会に来るのはほとんど男か年輩の人ばかりで、若い女性はほとんどいない」と話し笑い(と共感)を誘っていた。その時点ですらそういう話が苦笑とともに受け入れられていたのである。ここ十年の間に世の中は様変わりした。世の中の様変わりとともに、荷風に対する価値観も大きく転換した。持田さんはこの変化を敏感に悟り、的確に荷風像の現在を描いたというべきなのだろう。